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アントニオ・ゴンザレス

                                 1593-1637年


トマス西と15殉教者の一人として列聖


スペイン生まれの説教師。=Antonius Gonzalez

アントニオ・ゴンザレスは1593年、スペインのレオン市に生まれました。幼い時から秀才の誉れ高く、ドミニコ会に入ってからは説教師として活躍しました。1632年、日本宣教を希望してマニラに行き、そこで聖トマス学院の神学部長兼学長になりましたが、1636年、日本宣教援助のためにフィリピンを発ちました。

しかし琉球に到着したところですぐに捕まえられ、翌1637年、京都のラザロロレンソ・ルイスと共に長崎に移され、水責めの拷問に遭い、9月23日に力尽きて牢内で殉教しました。


宣教援助のために来日


16殉教者

(カトリック松山教会)
アントニオ・ゴンザレスはスペインのレオン市で1593年に生まれ、頭が良かったので幼い時から司教座神学校に入って勉強するようになりました。成長してドミニコ会に入ると、説教師として知られるところとなり、スペイン各地から呼ばれて説教をして回り、多くの人に影響を与えました。

東洋宣教の夢やみがたく、1632年にマニラに到着。日本宣教の困難さを知って祈りの生活を強めながら、一方で聖トマス学院の神学部長兼学長としての務めを果たていました。1634年、禁教令下の日本ですべての司祭が殉教し、教会は滅亡しつつあるとの報告がもたらされ、ドミニコ会では日本援助の必要性が説かれました。

またゴンザレス神父が日本管区長に選ばれたので、1636年、ゴンザレス神父は日本宣教援助のための船に乗り込んでフィリピンを出発しました。しかし、同年7月10日琉球に到着するや否や捕縛され、翌1637年に長崎へと移送されました。牢内で水責めの拷問を受け、高熱を出した神父に、更に何度も水責めが繰り返されたので、9月23日、ゴンザレス神父は殉教しました。





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