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ミゲル・アオザラザ

                                 ?-1637年


トマス西と15殉教者の一人として列聖


スペイン生まれの宣教師。=Michael de Aozaraza

ミゲル・アオザラザはスペイン北部の村に生まれました。ドミニコ会に入会し、司祭になると、1634年東洋宣教のためマニラに赴きました。マニラで日本語の勉強をしてから、1636年、アントニオ・ゴンザレス神父ギョーム・クルテ神父と共に日本に向けて出航しましたが、琉球に着くとすぐ捕らえられ、翌年長崎に護送されました。

数度に亘って拷問を受けても耐え忍び、1637年、西坂で穴吊りの刑に処されて3日間苦しんで尚棄教しなかったので、穴から引き出されて9月29日に斬首され殉教しました。


一人でも多くの日本人を救おうと


16殉教者

(カトリック松山教会)
スペイン北部のオニャテ村に生まれたミゲル・アオザラザ神父については、生年月日は不明ですが、1598年に洗礼を受けたことが分かっています。成長するとドミニコ会に入り、司祭に叙階され、マドリッドで十数年の間過ごしました。

その後才能を発揮して、修道院で重要な働きをしていましたが、1634年、東洋宣教を志し、メキシコのアカプルコ港に行き、そこでギョーム・クルテ神父と合流して、4ヶ月航海の後マニラに着きました。

マニラでは北部のパタアン地区に着任しましたが、アオザラザ神父は現地で使われているタガログ語を学ぶ一方で、日本語を学ぶ許可を管区長に願い、許可されました。

マニラから日本へ


金針を押し込まれるアオザラザ神父とクルテ神父

(アントワープで出版された銅版画)
マニラで日本語を習得したアオザラザ神父は、1636年、ゴンザレス神父らと共に日本に向けて出航しましたが、琉球で捕縛されて長崎に送られ、奉行所で尋問を受けました。それが終わると水責めが連日行われました。

それでも信仰を棄てる様子が見られないので、アオザラザ神父とクルテ神父、ビセンテ塩塚神父には、手の指と爪の肉の間に金針を押し込んで、その金針をギターのように棒で動かす拷問を行いました。

1637年9月26日、牢から引き出された5人の者たちは、先頭が京都のラザロ、次いでロレンソ・ルイス、三番目がビセンテ塩塚神父、四番目がギョーム・クルテ神父、五番目がアオザラザ神父という順番で、多くのポルトガル人が見守る中、西坂の刑場に引き立てられました。

キリシタン時代多くの信徒と司祭さえも転ばせた穴吊りの刑に、5人はかけられましたが、アオザラザ神父はそれに3日間耐え抜いて信仰を棄てなかったので、1637年9月29日、斬首され殉教しました。

殉教者の聖遺物が信徒の手に渡ると信仰を強めてしまうということで、神父の遺体は焼かれ、その灰は袋に詰められ、その日のうちに海に捨てられました。





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