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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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ギョーム・クルテ

                                 1590-1637年


トマス西と15殉教者の一人として列聖


フランス生まれの宣教師。=ギロルム・クルテ,ギレルモ・クルテ, Guillelmus Courtet

ギョーム・クルテは1590年、フランスのモンペリエに生まれ、ドミニコ会に入会し、トゥルーズで神学を修めて司祭に叙階されました。修道院の神学講師や修道院院長を務めた後、マニラにあるトマス学院の神学教授に迎えられ、多くの人を指導しました。

1636年、日本宣教を志してマニラを出発しましたが、日本到着と同時に逮捕され、翌1637年に長崎に移送。棄教を勧める拷問にも揺るがなかったので、市中引き回しの上、西坂で穴吊りの刑に処されましたが、3日間耐え抜きました。そこで役人はクルテ神父を穴から引き出し斬首するようにと命じ、1637年9月29日殉教しました。


キリシタン時代のフランス人神父


16殉教者

(カトリック松山教会)
ギョーム・クルテは1590年フランス・モンペリエに生まれた人物で、1607年にアルビのドミニコ会に入会し、トゥルーズで神学を学びました。それから1617年までの間に司祭に叙階され、サン・マキシマン王立修道院の神学講師を経て、1624年アビニオン修道院の院長となりました。

その後マドリッドに移り、5年間滞在する中で高潔な人柄が知られるようになり、1635年マニラにあるトマス学院の神学教授に迎えられました。クルテ神父は自分に厳しいが、人には優しく、特に改心する罪人に対して優しかったと伝えられています。

またクルテ神父は最後の20年間、より長く祈るためベッドでは寝ませんでした。常時棘のついた苦行帯を身に着けていることは皆の知るところでした。日本での殉教に備えて自らを律し、真に祈る姿は学生たちに神の愛に生きる生き方がどのようなものであるかを教える影響を与えました。

管区会議は至難の日本宣教のために、この霊性を携えたフランス人神父、ギョーム・クルテを派遣することを決定しました。

金針を押し込まれるクルテ神父とアオザラザ神父

(アントワープで出版された銅版画)

マニラから日本へ


1636年、壊滅状態にある日本の教会を助けるために、クルテ神父はマニラを出発しましたが、到着するとすぐに捕えられ、長崎に護送されました。金針を押し込まれるなどの拷問を受けても屈しなかったので、死刑宣告文をつけられて、見せしめのために市内を引き回され、穴吊りの刑に処されました。

穴吊りとは、長崎奉行だった竹中采女正が考案した拷問で、イエズス会の日本菅区長代理のクリストヴァン・フェレイラ神父も5時間で転んだ過酷なものですが、クルテ神父はこれに3日間耐え抜きました。

当時の長崎奉行 神尾元勝は、その日狩りに行こうとしていたのですが、神父が転びも死にもしないので、刑の執行を急ぎ、斬首を命じました。そこでクルテ神父は穴から引き出され、1637年9月29日、斬首され殉教しました。





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