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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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ドミンゴ・エルキシア

                                 1589-1633年


トマス西と15殉教者の一人


神学者でもあったスペイン人宣教師。=ドミンゴ・イバニェズ・デ・エルキシア,Dominicus Ibanez de Erquicia

エルキシア神父は、1589年にスペイン領ピレネー山麓の村で生まれ、16歳の時にドミニコ会に入会。マニラに派遣され、そこで司祭となりました。1623年、日本からの宣教師派遣の要請に応えて、日本に向けて出発しましたが、薩摩に着くや否や帰ることを余儀なくされました。そこで再び日本潜入に挑戦し、今度は成功して、以後10年に亘り九州や関西、江戸、東北などで密かに活動しました。

しかし1632年に大村領で逮捕され、同年8月14日、西坂で穴吊りの刑を受けて殉教しました。


日本で殉教したドミニコ会宣教師


16殉教者

(カトリック松山教会)
ドミンゴ・エルキシア神父は、1589年スペインのギプッコア県パンプロナ司教区のレヒール村で生まれ、16歳でドミニコ会に入会し、1611年マニラに派遣され、そこで司祭に叙階されました。1623年来日し、一度日本を去らなければなりませんでしたが、二回目の来日に成功し、約10年間日本全国で潜伏しながら宣教しました。

1631年5月、エルキシア神父はドミニコ会管区長代理に任命され、バチカンは邦人司祭叙階の目的で、彼を司教候補に挙げましたが、それによって幕府はキリスト教布教の中心人物としてエルキシア神父を捜索するようになりました。

エルキシア神父の最期


エルキシア神父の手紙

同年8月、上長として京都にルカ神父を訪ね、道々長崎まで帰って来ると、翌1632年にはヤコボ朝長神父ヨルダノ神父が到着したので迎えました。1633年3月、穴吊りの拷問を考案した竹中采女正が失脚し、長崎奉行が今村伝四郎正長と曽我又左衛門の2人体制になると、新しい奉行たちは成果を上げるために厳しいキリシタン狩りを始めました。

特にエルキシア神父はキリシタンの中心人物として、人相書きに背丈などを書き添えて、町の角や村々に貼り出されました。そこへエルキシア神父を知っている信徒が捕らえられ、神父の居場所を白状したために、1633年7月、エルキシア神父は一緒にいたフランシスコ正右衛門と共に大村領の長与で捕縛されました。

エルキシア神父と正右衛門は棄教の説得に応じなかったので、穴吊りに処され、同年8月14日、殉教しました。





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