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トマス西

                                 1590-1634年


聖人となった日本人司祭


平戸生まれの日本人司祭。=トマス・デ・サン・ハシント・ヒオジ西六左衛門,Thomas a S. Hyacintho,seu Hioji Nishi

トマス西は1590年、平戸の生月に生まれ、教会で同宿(伝道士)として働いて、多くの人々に影響を与えていましたが、1620年頃司祭になるためにマニラに渡り、1624年ドミニコ会に入会。1626年、日本人として初めてのドミニコ会の司祭として叙階されました。


両親と兄も殉教者


16殉教者

(カトリック松山教会)
トマス西は1590年、平戸の生月に生まれました。父ガスパル西は松浦鎮西の重臣、籠手田(こてだ)家の家老でしたが、主君が信仰のために追放されると同時に職を追われ、1609年、藩主の棄教の命令に従わなかったがために、妻と長男と共に殉教しました。その場所は、現在も「クルスの辻」と呼ばれ生月の聖地とされています。

司祭になって日本に潜入


マニラで司祭叙階を受けたトマス西は、1629年に長崎へ潜入し、ミサを捧げて信徒を励まして活動していました。しかしヨルダノ神父が過労で倒れ、その看病に行って滞在を延ばし、聖ドミニコの祝日を祝おうとしている時に役人が襲ってきて水ノ浦で捕えられました。

2人の神父の最期

穴吊り


トマス西神父とヨルダノ神父、2人の神父は牢に入れられ、劣悪な環境で3ヵ月半を過ごしました。役人が火焙りか油で揚げるぞと脅しましたが、2人は驚かなかったので繰り返し水責めの拷問を受けました。ヨルダノ神父は手桶の水70杯も飲まされ、西神父はそれに少し足りないくらい飲まされて、重石を腹に落とされると、口や鼻、眼や耳から血と水が噴き出して半死半生の状態になりました。

また指と爪の間に、焼き固めた竹串を押し込みましたが、2人がこれに耐えるので、役人は今度はささくれ立った竹を持ってきて、衆人環視の中、2人の性器に押し込んで苦しめました。2人は血塗れになって牢に担ぎ込まれましたが信仰を奪われることはありませんでした。

そのため1634年11月17日、ヨルダノ神父と西神父は牢から出され、市中を引き回されて西坂に向い、そこで穴吊りの刑に処されて殉教しました。西神父は自らの命を捧げる西坂に着いたとき、その地に口づけをし、信仰宣言を唱えたと言われています。

穴吊りの苦しみにヨルダノ神父は7日間耐え、西神父はその少し前まで耐えて絶命し、殉教者の列に加えられました。西神父は殉教した時44歳でした。





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