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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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ファン・デ・サンタ・マルタ

                                 1578-1618年


1867年に列福された205名の殉教者の一人


スペイン生まれのフランシスコ会司祭。
1618年、京都で殉教しました。



京都で殉教


ファン・デ・サンタ・マルタはスペイン、カタルーニャのプラーダスに生まれました。サモーラでフランシスコ会へ入会して修道生活を送り、司祭に叙階され、1605年にフィリピンへ渡航しました。そこでは教会音楽を指導するなどしました。

1607年に来日して、京都の伏見で聖母修道院長に就任。教会音楽の普及に努め、また仏教を研究して「仏教駁論」を著しました。 1614年に禁教令が発布されると、フアンは収容されましたが船から脱出して再潜入し、有馬や大村で宣教活動を続け、キリシタンの退潮が著しい大村へ赴いて伝道を進め、人々に洗礼を授け、棄教者たちを立ち返らせました。

フランシスコ会修道院跡


藩主 大村喜前は初めのうちは黙認していましたが、1615年になると仏教僧たちの訴えを受けてフアンを逮捕しようとしました。1615年、背教した有馬義貞によって捕らえられ京都に送られ、長崎奉行所の判断により京都へ護送されて、一般の罪人たちと同じ牢に入れられましたが、牢内で説教をして多くの人々を入信させました。

京都所司代の板倉勝重はフアンを処刑せずにヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)へ追放しようとしましたが、フアンは「自分を釈放するのであれば、あくまでも日本にとどまってキリストの教えを説く」と主張して譲りませんでした。

1618年8月16日、フアンは牢から出されて京都の市中を引き回され、その途中でも熱心に説教を続けた後、最後に将軍や役人の赦しを主に願い、斬首されて殉教しました。





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