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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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シモン清田木斎

                                 1560-1620年


1867年に列福された205名の殉教者の一人


豊後生まれのキリシタン殉教者。=木斎(ぼさい),シモン清田卜斎

イエズス会宣教師たちの同宿を務め、ドミニコ会のハシント・オルファネル神父フアン・デ・ルエダ神父の宿主でした。そのため1620年小倉で穴吊りの刑にかけられ命を奉献しました。彼と共に妻のマグダレナ、従僕トマス源五郎と妻マリア、息子のサンチャゴも殉教しました。全員がロザリオ信心会員でした。



小倉で穴吊りに


シモン清田木斎は豊後の名門士族の武士で大友家の家臣でした。1578年頃、熱心なキリシタンであった兄のロマン清田に勧められて受洗。1581年にイエズス会の修練院に入りましたが、わずか三日で夜中に逃げ出してしまい、在俗のキリシタン武士として大友家に仕えてました。

1593年に大友義統が改易されため浪人となり、妻マダレイナとともに教会の看坊(在俗の信徒世話人)となって、聖堂の管理や信徒の祈りの指導に携わっていました。その後、1604~09年には広島でマテオス・デ・コーロス神父を補佐し、一時フアン・デ・ルエダ神父の宿主となって宣教活動を支えていました。

 

小倉城

1617年以前にシモンは小倉教会へ移り、ロザリオ会員の代表者として、妻や従者のトマス源五郎たちと共に信徒の共同体の中心になっていました。すでにキリシタン弾圧を強めていた領主 細川忠興は、たびたびシモンに使いを送って棄教するよう命令しましたが、彼らは信仰を強く持ち続けました。

1620年8月15日、シモン、マグダレイナ、トマス、トマスの妻マリヤ、二人の息子サンチャゴは捕縛され、改めて役人から棄教を迫られましたが、5人とも断固として拒否しました。

死を覚悟したシモンは、コーロス神父に書簡をしたため「デウス様はついに私の宿望をかなえてくださったのです。しかし私の罪ゆえにこの幸福を失うのではないかと恐れます。どうぞ、私たちのためにデウス様が勇気と力をくださるよう願ってください」と書き送っています。

翌8月16日、5人は最後の別れのあいさつを交わした後、刑場に連行されました。60歳のシモンは、細川忠興が自分たちの死を引き延ばしてくれたために殉教の準備ができたことに感謝の言葉を述べました。5人は刑場で逆さ磔にかけられ、相次いで天に召され、19日に至ってまだ息をしていたトマスとサンチャゴの父子が槍で突かれて奉献を全うしました。





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