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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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フランシスコ・モラレス

                                 1567-1622年


1867年に列福された205名の殉教者の一人


ドミニコ会のスペイン人司祭=P.Francisco Morales
1622年9月10日、西坂で火刑に処されて殉教しました。


甑島、京泊に修道院


フランシスコ・モラレスは1567年、カスティリャ王国の王立最高裁判所検事の息子としてマドリッドで生まれました。ヴァリャドリッドにあるドミニコ会サンパブロ修道院に入り、サン・グレゴリオ学院で哲学と神学を学び、召命に気付きフィリピンに向かいました。

1598年にマニラに上陸し、設立されたばかりのサント・ドミンゴ修道院の神学院で教授となり学生の面倒をみました。1602年ドミニコ会は日本宣教を決定し、モラレスを日本宣教団の初代管区長代理に任命。協力者としてはアロンソ・デ・メーナ、トマス・エルキナンデス、トマス・デ・スマラガの諸神父とファン・デ・バディア修道士が選ばれました。

京泊教会跡

1602年7月3日、モラレス神父らは鹿児島の甑島に上陸。薩摩の領主に挨拶をして甑島に戻り、小さな日本家屋を改造して修道院としました。1606年には薩摩の領主の好意により九州本土に移り住み、京泊に教会と修道院を建設。積極的に活動していましたが、1609年に宣教師たちは薩摩を追放されました。

1614年日本からほとんどの宣教師が追放されたとき、モラレス神父も船で出帆しましたが、キリシタンたちがひそかに長崎の沖合に待たせてあった船に乗り移り、日本に戻ることができました。モラレス神父は長崎代官のアントニオ村山等安の長男、アンドレス村山徳安に保護されていましたが、1619年に捕らえられ長崎の牢に入れられました。

そこから壱岐の島の牢に移され、更に鈴田牢に移され収容されました。モラレス神父はこれらの牢からも使いの者や手紙を用いて信徒を励ましましたが、1622年9月10日、西坂の丘で弱い火にかけられ長引く苦しみの末帰天しました。





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