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アンヘル・フェレール・オルスッチ

                                 1575-1622年


1867年に列福された205名の殉教者の一人


ドミニコ会のイタリア人司祭=アンジェロ・オルスッチ,P.Angelo Ferrer Orsucci
1622年9月10日、西坂で火刑に処されて殉教しました。



イタリア貴族の出


アンヘル・フェレール・オルスッチは、1575年イタリアのトスカーナ地方にあるルッカで貴族の家に生まれました。洗礼名はミカエルでしたが、1586年ドミニコ会のサン・ロマン修道院に入会したときにアンヘルと改名しました。

福音宣教への召し出しを感じたオルスッチはスペインのヴァレンシアにある修道院に移って勉強を続け、1602年にマニラに到着しました。1617年、アルフォンソ・ナヴァレテ神父が日本で殉教したので、減少した人員を補充する必要が生じました。

鈴田牢

そこで管区長はオルスッチに日本宣教の使命を与え、オルスッチはファン・マルチネス・デ・サント・ドミンゴ神父と出帆し、長崎に上陸しました。迫害の嵐が吹き荒れる長崎で、オルスッチはコスメ竹屋の家に潜伏して日本語を習得。日本人伝道師トマス・デル・ロザリオと従僕ファン・ドミンゴ・デル・ロザリオがオルスッチを助けました。

1618年、捕吏が潜んでいた家に踏み込み、オルスッチ神父とサント・ドミンゴ神父、日本人協力者とコスメ竹屋を捕らえ、鈴田牢に入牢させました。牢内でオルスッチ神父はイエズス会士カルロ・スピノラ神父と深い友情を結び、牢内から多くの手紙やマニラへの報告書を送りました。

1622年9月10日、西坂に連行され、苦痛が長引くようにと弱くされた火で焼かれ殉教しました。





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