本文へスキップ

キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

トップページ > 私家版いじん伝 > 来日した宣教師 > ホセ・デ・サン・ハシント’’サルバネス’’

ホセ・デ・サン・ハシント’’サルバネス’’

                                 1580-1622年


1867年に列福された205名の殉教者の一人


ドミニコ会のスペイン人司祭=ホセ・デ・サン・ハシント・サルバネス,P.José Salvanez De San Jacinto
1622年9月10日、西坂で火刑に処されて殉教しました。



あだ名は「サルバネス」


ホセ・デ・サン・ハシントは1580年、スペインのマドリッドにあるヴィリャレホ・デ・サルバネス村で生まれました。「ホセ・デ・サン・ハシントは他にもいるので、彼はこの生まれた村の名前を取って「サルバネス」というあだ名で呼ばれていました。

1597年、召命を感じてドミニコ会の修道院に入り、トレドで学んで司祭の叙階を受けました。1605年スペインを発ってメキシコに至りましたが、そこで病気になりハシント・オルファネル神父と一緒に2年留まりました。1607年にマニラに到着。

京泊教会跡

マニラに到着すると、オルファネル神父と日本に行くよう命じられ、京泊にあるサント・ドミンゴ修道院兼ロザリオの聖母教会に赴任しました。1609年院長のフランシスコ・モラレス神父ら宣教師は皆薩摩を追放され、サルバネスは京都に派遣され活動することになりました。

ミヤコには1610年1月「都のロザリオの聖母修道院兼教会」が設立され、同じ年の7月には大阪に聖ドミニコを保護者と仰ぐ教会が建てられました。1612年、サルバネス神父はトマス・デ・スマラガ神父アルフォンソ・ナヴァレテ神父の助けを受けながら宣教しました。

1621年、滞在していた家に捕吏が襲い逮捕されて、奉行所に監禁され、翌日長与の船着場まで連行され、鈴田牢に入れられました。獄中からも信徒たちを指導し、励ますことをやめませんでした。1622年9月10日、西坂に連れて行かれ、とろ火で焼かれる刑に耐え殉教しました。





インフォメーション
《本サイト内の関連ページ》



                                         NEXT >>