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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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ハシント・オルファネル

                                 1578-1622年


1867年に列福された205名の殉教者の一人


ドミニコ会のスペイン人司祭。=P.Jacinto Orfanel
「日本キリシタン教会史」を著し、1622年9月10日西坂で火刑に処されて殉教しました。




ハシント・オルファネルは1578年、スペインで生まれました。洗礼名はペドロでしたが、1601年に修道誓願を立てたとき、ハシントと改名しました。1605年、アジアで働くことを志願してスペインを出帆。メキシコで病気になり2年を過ごしましたが、1607年にマニラに到着しました。

京泊教会跡

到着して1か月後、一緒に来たホセ・デ・サン・ハシント神父と共に日本宣教を命じられ、京泊にある教会で働きました。1608年7月22日オルファネルはレオン税所七右衛門に洗礼を授けました。レオンは受洗して間もない11月17日に薩摩最初の殉教者となりました。

薩摩における迫害が厳しくなったので、オルファネル神父は地方の村々をめぐりキリシタンを励ましていましたが、1609年、新たに始められた肥前(佐賀)の福音宣教に派遣されるようになりました。実りはあったのですが、1613年そこを追放され長崎に行くことを余儀なくされました。

1614年11月日本を追放されましたが、沖合で待っていた小船に乗り移って、再度日本に戻り、潜伏して活動しました。1618年からは「日本キリシタン教会史」の編纂の基礎となる著述を始め、1621年に完成させました。そしてその年の4月潜伏先に帰る途中、矢上村で捕吏に捕まり大村牢に入れられました。

殉教の日までそこに囚われ、1622年9月10日西坂で焼き殺されて殉教しました。





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