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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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セバスチャン木村

                                 1565-1622年


1867年に列福された205名の殉教者の一人


イエズス会司祭で、最初の日本人司祭=P.木村Sebastião
フランシスコ・ザビエルが平戸で滞在した木村氏の孫で、1601年長崎にて日本人として初めて司祭に叙階されました。



初めての日本人司祭


平戸

セバスチャン木村は1565年、平戸に生まれました。祖父は1550年にフランシスコ・ザビエルとその仲間に宿を与えた木村氏で、平戸藩主 松浦隆信の家来でした。木村家に滞在中、ザビエルは家族の者に洗礼を授け、平戸キリシタンの初穂としました。木村氏の子孫からは、セバスチャン木村を含めて少なくとも5人が殉教者になり、列福されています。

セバスティアンは12歳から同宿として教会に奉仕し、1580年有馬セミナリオの最初の22名の生徒の一人となり、1584年臼杵の修練院でイエズス会に入会。その後、都から平戸、島原半島と巡り、天草の河内浦のコレジオで勉強した後、1596年マカオのサンパウロ学院で神学を勉強しました。1598年、副助祭となり、1600年に長崎に戻り助祭になりました。1601年長崎で叙階され、その後天草や豊後で活躍しました。

1614年に禁教令が出されると日本に潜伏し、捕らえられるまで長崎で活動しました。セバスチャン木村の短い伝記を書いたベント・フェルナンデス神父によると、セバスチャン木村は「バスティアン神父」とみんなから呼ばれていたそうで、穏やかで危険を余り心配しないで、平和な時にいるように迫害下でも熱心に仕事を続けていたということです。

1621年6月ある日一人の韓国人の信者の家でミサを捧げるために呼ばれて、そこで夜明け頃に祈りをしていたところ、密告により捕吏が来て逮捕されました。大村の鈴田の牢屋に収容され、殉教の日までそこに一年間以上監禁されていました。1622年9月10日元和大殉教のときに西坂で火刑に処されて帰天しました。





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