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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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マンショ・デ・サント・トマス柴田

                                 1600-1622年


1867年に列福された205名の殉教者の一人


キリシタン殉教者。=マンショ・デ・サント・トマース
トマス・デ・スマラガ神父の伝道士として大村地方で働き、スマラガ神父らと共に放虎原で火焙りとなって殉教しました。



熊本生まれ


マンショ・デ・サント・トマス柴田は1600年、肥後(熊本)に生まれました。1617年6月初め頃からトマス・デ・スマラガ神父の伝道士として大村地方で働いていましたが捕縛され、1617年7月23日スマラガ神父と共に鈴田牢に入れられました。

放虎原殉教地


1621年2月鈴田牢内で日本人として初めてドミニコ会士になりました。管区長代理ディエゴ・コリャード神父は「最初に修道服が与えられたのはマンショであって、聖ドミニコ修道会に属するものとなり、マンショ・デ・サント・トマスと呼ばれた。牢内でラテン語を勉強し、トマス・デ・スマラガ神父の協力者として説教者かつ伝道士としての能力が備わっていたので、宣教師たちは彼に司祭への道を準備させた」と書いています。

1622年9月12日、スマラガ神父らと共に放虎原で火焙りとなって殉教しました。





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