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アポリナール・フランコ

                                 1575頃-1622年


1867年に列福された205名の殉教者の一人


スペイン生まれのフランシスコ会司祭。
5年間の入牢後、放虎原で火刑に処され殉教しました。



スペインに生まれて


アポリナール・フランコは1575年頃スペインの古カスティリャ地方のアクィラール・デ・カンポに生まれました。サラマンカ大学で法律を専攻後、サラマンカにあるフランシスコ会に入会しました。司祭に叙階されて数年経った1600年に、50人の仲間と一緒にメキシコに渡り、その翌年にドミニコ会のオルスッチ神父ら40人のグループでマニラに赴きました。

1606年日本に派遣され、本州中部を舞台に活躍しました。アポリナール神父が伝道した人々の中には広島で殉教したフランシスコ遠山がいます。1614年の追放令で長崎に送られましたが、他の仲間たちと首尾よく免れ日本に潜伏。家康が包囲した大坂城の陣中にいましたが、そこからも脱出できました。

平戸に向けて出発し、1615年6月15日に到着。同地のイギリス商館長コックスはアポリナール神父に食事を供し、金子も渡しました。


フランシスコ会日本宣教長に


1616年9月、ペドロ・バウティスタ・ポッレス・イ・タマヨ神父がメキシコに帰ることとなったので、彼に代わってアポリナール神父がフランシスコ会の日本宣教長となりました。迫害が激化する時期でしたが、神父はドミニコ会のトマス・スマラガ神父と連れ立って大村に行き、市中で宣教しました。1617年6月に逮捕され牢に入れられ、一緒に働く同宿5、6人も共に捕縛されました。

1622年9月12日、牢から引き出され刑場へと向かう間も役人に対して教えを説くことをやめず、他の8人と共に柱に縛られ、火が放たれました。9人の中でアポリナール神父が一番最後まで生き残り、役人の「棄教して念仏を唱えよ」との言葉に、「それはできない」と言って絶命しました。





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