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カミロ・コンスタンツオ

                                 1571-1622年


1867年に列福された205名の殉教者の一人


イタリア生まれの司祭。=P.Camillo Constanzo

カミロ・コンスタンツオは1571年、イタリア南部に生まれ、1591年にイエズス会に入会。マカオを経て1605年に日本に来ましたが、その後マカオに戻って活動し、1621年にもう一度日本に戻って、平戸で働いていました。1622年、アウグスティノ太田と一緒に逮捕され、9月15日に平戸の向かいにある田平で火刑に処されました。


マカオでも活躍


カミロ・コンスタンツオは1571年、イタリア南部のカラブリアに生まれ、1591年にイエズス会に入会し、1602年に司祭叙階されました。1603年に中国へ向けて出発しましたが、マカオで中国に入るのを阻まれたのでそこから日本に向い、1605年に長崎に着きました。堺などで活躍しましたが、1614年にマカオへ渡り、そこで執筆活動をしました。

コンスタンツォ殉教地


その後1621年に再び日本に戻り、佐賀の不動山や唐津で活動していましたが、翌年4月22日、平戸領内でアグスティン太田と一緒に逮捕されました。死を覚悟したアウグスティノ太田がイエズス会入会を求める手紙を書いたので、コスタンツォ神父は彼を修練者として受け入れ、1622年8月、獄中生活4ヶ月目に誓願を立てて修道士になりました。

アウグスティノ太田はその翌日斬首刑に処せられ、コスタンツォ神父は9月15日に田平の焼罪(やいざ)で火刑にかけられ殉教しました。焼罪にはカミロ・コンスタンツオ殉教碑が建てられています。





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