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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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ペドロ・パウロ・ナヴァルロ

                                 1558-1622年


1867年に列福された205名の殉教者の一人


イタリア生まれの宣教師。=ピエトロ・パオロ・ナヴァロ,ペトロ・パウロ・ナウアロ,P.Pedro Paulo Navarro

ペドロ・パウロ・ナバルロは1558年、イタリア南部に生まれ、1579年にイエズス会へ入会、ゴアで司祭に叙階されました。1586年、平戸に到着し、日本語と風習を学ぶと各地に派遣され、九州北部で長く働きました。ナバルロ神父を助けて働いていたのは、クレメンテ久右衛門ディオニシオ藤島ペドロ鬼塚という同宿でしたが、一緒に捕縛され、島原の今村刑場で火刑に処されました。


イタリアから日本へ


ペドロ・パウロ・ナバルロは1560年、イタリア南部のナポリ市に生まれ、1579年にイエズス会へと入会。1584年にゴアに送られ、そこで1585年に司祭叙階されました。1586年、平戸に到着し、日本語を習得すると四国や本州に派遣されましたが、1587年に秀吉が伴天連追放令を出すと、九州に戻って豊後などで働きました。

今村刑場跡


1614年の禁教令後も日本に残り、潜伏して働き続けましたが、それを助けていたのは3人の日本人同宿、クレメンテ久右衛門とディオニシオ藤島、ペドロ鬼塚でした。1621年12月下旬、南蛮貿易のためにその頃はまだキリシタンを黙認していた島原藩主 松倉重政の家臣に捕らえられることとなり、異教徒の家に置かれました。

松倉重政は密かにマカオに逃すことを考えていると伝えてきましたが、10ヶ月後に江戸から全員処刑せよとの命令が下るとそれに従いました。1622年11月1日、今村刑場に連行された4人は火刑に処されて殉教しました。





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