1867年に列福された205名の殉教者の一人
東北や北海道を巡回したイタリア人神父。=ジラロモ・デ・アンジェリス,へロニモ・デ・ロス・アンヘレス,P.Jerónimo Angelis
ジェロニモ・デ・アンジェリスは1568年イタリアのシチリア島に生まれました。リスボンで司祭となり、
カルロ・スピノラと同じ船で日本に向けて出港しましたが、いろんな事情が生じて、出発から4年後の1602年に到着。伏見や長崎でも働きましたが、禁教下になってからは主に東北で活動し、北海道にも渡りました。
1621年、江戸に呼び戻されて働いている時に、密告でシモン遠甫と共に捕縛され、小伝馬町の牢に投獄されました。1623年12月4日将軍になったばかりの家光の命により、芝の札の辻で火刑に処されました。
シチリア島に生まれて
ジェロニモ・デ・アンジェリスは1568年イタリアのシチリア島に生まれ、法律を学んだ後、1586年にメッシーナでイエズス会に入会。1598年、リスボンで司祭叙階を受けました。1602年に日本へ到着し、最初は伏見で、次いで駿府と江戸で司牧にあたりました。
札の辻殉教地
1614年の禁教令後も日本に残り、潜伏して長崎で働いていましたが、東北地方にいるキリシタンの世話をするように招かれ、その頃から
シモン遠甫も同行するようになりました。1618年と1621年には蝦夷(北海道)に渡り、その土地と住民の様子を調べ報告書を作成しました。
1621年、江戸に呼び戻され、イエズス会の江戸修道院で活動していましたが、密告され、投獄されることとなりました。1623年12月4日、将軍家光の命により札の辻で他の49名と共に火焙りとなり殉教しました。