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ミゲル・カルヴァリョ

                                 1577-1624年


1867年に列福された205名の殉教者の一人


火焙りにされたポルトガル人宣教師。=ミゲル・カルワリオ,

ミゲル・カルヴァリョは1577年にポルトガルで生まれ、苦心して1621年に日本に到着し、大胆に宣教しました。禁教下なのでもっと慎重にするようフランシスコ・パシェコ管区長から注意を受け、次の司牧地へと向う途中、捕らえられて大村で投獄されました。およそ13ヶ月害虫だらけの牢で暮らすことを余儀なくされ、1624年、大村の放虎原で火刑に処されて殉教しました。


放虎原で殉教


ミゲル・カルヴァリョは1577年にポルトガルのブラガで生まれ、1597年にコインブラでイエズス会に入会。1608年頃マカオで叙階され司祭となりました。宣教に行くことを願っていましたが、ゴアで勉強を続けることとなり、1617年、40歳の時、ようやく日本に派遣されるようになりました。しかし途中のマカオで3年足止めされたので、そこで日本語を習得し、1621年に天草に到着すると、早速働き始めました。

放虎原殉教地

カルヴァリョ神父は隠れて宣べ伝えることを好まず、領主に謁見を願って、大胆に説教するなどし、獄に入れられたこともありましたが、その際は数日間で追い返されて終わりました。長崎近くに上陸すると、ある信徒は彼をパシェコ管区長のところに連れて行き、管区長からもっと賢明に働くように注意されることもありました。

1623年7月23日、次の任地に赴く途中、カルヴァリョ神父は捕らえられて大村の牢獄に入れられました。そこにはドミニコ会のペドロ・バスケス神父とフランシスコ会のルイス・カブレラ・イ・ソテロ神父ルイス笹田神父ルイス馬場修道士がいましたが、彼らと共に13ヶ月劣悪な牢で暮らし、彼らと共に1624年8月25日、大村の放虎原で火焙りの刑となり殉教しました。





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