本文へスキップ

キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

トップページ > 私家版いじん伝 > 来日した宣教師 > ルイス・カブレラ・イ・ソテロ

ルイス・カブレラ・イ・ソテロ

                                 1574-1624年


1867年に列福された205名の殉教者の一人


フランシスコ会宣教師。=ルイス・ソテロ,P.Luis Caballero Y Sotelo
伊達政宗の知遇を得て、慶長遣欧使節を組織し、支倉常長らと共にヨーロッパに渡り、使節をローマ教皇に謁見させました。



慶長遣欧使節を企画


ルイス・カブレラ・イ・ソテロは、1574年に生まれ、サラマンカ大学で学び、1594年にフランシスコ会に入会しました。ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)を経て1600年、フィリピンに渡り、マニラで司牧。日本行きを志して日本語を習得しました。

1603年フィリピン総督の書簡を携えて来日し、徳川家康や秀忠に謁見。日本での布教を許可されました。 1609年には上総(千葉県)の海岸で難破した前フィリピン総督ドン・ロドリゴの通訳として役人との折衝にあたり、仙台藩主・伊達政宗との知己を得て、東北地方でも布教しました。

ルイス・ソテロ墓碑

1613年禁教令のため捕らえられましたが、伊達政宗の助命工作によって放免され、仙台において慶長遣欧使節団を組織し支倉常長らと共に月の浦を出帆しました。ヌエバ・エスパーニャを経由してヨーロッパに渡り、エスパーニャ王、ローマ教皇パウルス5世に謁見。1617年、再び帰路をエスパーニャ、ヌエバ・エスパーニャ、フィリピンと渡り、1622年に長崎に密入国しましたが、捕らえられました。

1624年、大村でフランシスコ会の宣教師2名、イエズス会とドミニコ会の宣教師各1名と共に火刑に処され殉教。1867年にローマ教皇ピウス9世により列福されました。遺体はありませんが、仙台の光明寺には墓が建てられています。





インフォメーション
《本サイト内の関連ページ》



                                         NEXT >>