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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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フランシスコ・パチェコ

                                 1566-1626年


1867年に列福された205名の殉教者の一人


日本で殉教したイエズス会宣教師。=フランシスコ・パシェコ,P.Francisco Pacheco

フランシスコ・パチェコは1566年ポルトガルに生まれ、1585年イエズス会に入会。インドなどで神学を学び、マカオで司祭に叙階されました。その後マカオのコレジヨで教えてから1604年に来日しました。1615年、元キリシタンに裏切られて、同宿パウロ金助ペドロ・りんせいと共に捕らえられて、投獄され、1626年6月20日長崎の西坂で火焙りの刑に処せられて殉教しました。


ポルトガルに生まれて


フランシスコ・パチェコは1566年、ポルトガルのブラガ近くに生まれ、1585年、コインブラでイエズス会に入会し、1592年にインドに派遣され、ゴアとマカオで神学を学びました。マカオで司祭に叙階された後、神学を教えるかたわら日本語を学んで、1604年に来日。大坂と堺で働きましたが、1608年にマカオのコレジヨの院長に任命されたため、日本を離れましたが。1612年に再び日本に戻りました。

1614年禁教令が発布され迫害が始まったので、司祭や同宿らと共に一旦マカオに退きましたが、翌年パチェコ神父は変装して日本に密かに入国。1621年には管区長に任命されました。そして安全のために長崎から口之津に移ったのですが、以前の宿主に密告されて、同宿パウロ金助とペドロ・りんせいと共に捕らえられて、投獄されました。

獄から殉教まで

西坂の丘



間もなくパチェコ神父の宿主だったマンショ荒木マチアス荒木の兄弟とその家族、スザンナ荒木ペドロ荒木、また修道士ガスパル定松と同宿ジョアン喜作も捕縛され一緒に島原の牢に入れられました。パチェコ神父は管区長だったので、獄中で同宿たちをイエズス会に迎え入れ、修道院のような生活をしました。

1626年6月20日、牢から引き出され、ジョヴァンニ・バプティスタ・ゾラ神父バルタザール・デ・トルレス神父 らと共に長崎の西坂で火あぶりの刑に処せられました。牢内で一緒だった信徒も3週間後の7月12日に殉教しました。





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