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ジョヴァンニ・バプティスタ・ゾラ

                                 1575頃-1626年


1867年に列福された205名の殉教者の一人


イタリア生まれのイエズス会宣教師。=バウティスタ・ツォーラ,フアン・バウティスタ・ゾラ,P.Giovanni Battista (João Baptista) Zola

ジョヴァンニ・バプティスタ・ゾラは、1575年にイタリアのブレシャで生まれ、1593年にイエズス会へと入会。1602年インドに赴き、1606年に来日しました。1626年6月20日、フランシスコ・パチェコ神父バルタザール・デ・トルレス神父と日本人修道士らと共に西坂で火刑に処され殉教しました。


イタリアから日本へ


ジョヴァンニ・バプティスタ・ゾラはイタリアに生まれ、18歳でイエズス会に入会し、1602年に他の宣教師19名とインドに渡り、ゴアとマカオで勉強してから1606年に日本に来ました。有馬のコレジヨで日本語を習得してから島原へ行き、宣教しましたが、1614年の禁教令で日本を出、マカオに行くことを余儀なくされました。

翌年日本へ再度行ることを願い出て、ルセナ神父には反対されましたが、その年の内に他の宣教師たちと入国し、島原で活動するようになりました。しかし他の宣教師たちが次々と捕縛されていったので、ゾラ神父が司牧する範囲と務めが増加していきました。大村や島原の牢を秘かに訪問し、外部との文通を助けたり、囚徒の告白を聞いたり、慰めを与えるなどしていました。

1622年カルロ・スピノラ神父が殉教する直前にやり取りした手紙が残されており、ペドロ・パウロ・ナヴァルロ神父が牢にいる時に少なくとも2回、ゾラ神父が訪問したことが分かっています。ナヴァルロ神父は処刑の4日前にもゾラ神父に手紙を書いており、それによって当時の様子を今でも知ることができます。

捕縛から殉教へ

西坂の丘



ゾラ神父を助けていたのは同宿のビセンテ・かうんでした。また島原で活動するゾラ神父の宿主となったのはジョアン永井内膳だったのですが、1625年12月22日、ビセンテとジョアン永井の一家と共に召し捕らえられ、島原の牢に入れられ拷問を受けました。1626年6月18日、島原と大村の牢に入れられていた者たちは長崎に送られ、6月20日西坂で、宣教師と宿主は火刑に処され、宿主の妻子たちは斬罪に処され殉教しました。




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