本文へスキップ

キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

トップページ > 私家版いじん伝 > 205福者殉教者 > ビセンテ・かうん

ビセンテ・かうん

                                 1580頃-1626年


1867年に列福された205名の殉教者の一人


朝鮮生まれのキリシタン。

ビセンテ・かうんは、朝鮮に生まれましたが、1592年の朝鮮侵攻の際、小西行長の捕虜として日本に連行され、13歳の時日本でペドロ・モレホン神父から受洗しました。セミナリヨで学んでから、ジョヴァンニ・バプティスタ・ゾラ神父に付いて同宿として働いていましたが、ゾラ神父と共に捕らえられ、1626年西坂で火刑に処されて殉教しました。


朝鮮から日本へ


ビセンテ・かうんは、朝鮮の両班の家に生まれ、父は3千人の将兵を率いていましたが、1592年の朝鮮侵攻の際、12歳で小西行長の兵に捕らえられ捕虜として日本に連れて来られました。小西行長はキリシタン大名だったのでビセンテはキリスト教に触れることとなり、13歳の時、ペドロ・モレホン神父から受洗。セミナリヨに入学してそこで中国語や日本語を勉強して、どこかに派遣されることとなりました。

1612年ビセンテは中国の北京に派遣され、そこから朝鮮に入って宣教するようにと使命を与えられました。しかし海外には出たものの、7年かけても成功しなかったので、マカオ経由で日本に戻って来ました。そして今度は日本にいる中国人のために働こうと、ジョアン・バプティスタ・ゾラ神父の同行者となりました。

捕縛から殉教へ

西坂の丘



ゾラ神父は秘かに島原のジョアン永井内膳の許に隠れ、そこから付近を訪問していたのですが、1625年12月22日に追っ手がやって来て、ゾラ神父とビセンテ、ジョアン永井とその妻子を召し捕らえました。一行は島原藩の役人、多賀主水によって拷問を受け、ビセンテは裸にされて、主水から指を切られました。また水責めに遭って半死半生の身となったまま、極寒の時期に水中に縛られて放置されました。

14日間絶え間なく拷問を受けましたが、島原の牢中で、長い間願っていたイエズス会入会を許され、修道士となりました。1626年6月18日に島原と大村の牢にいたキリシタンは長崎に送られ、1626年6月20日ビセンテはフランシスコ・パチェコ神父バルタザール・デ・トルレス神父、ゾラ神父、ジョアン永井らと共に火刑に処され殉教しました。





インフォメーション
《本サイト内の関連ページ》



                                         NEXT >>