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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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マンショ・デ・ラ・クルス

                                 ?−1627年


1867年に列福された205名の殉教者の一人


キリシタン殉教者。=マンシオ・デ・ラ・クルス
獄中でドミニコ会に入会し、初誓願を立て、数時間後に殉教しました。



聖なる老人


生年月日や出身地は不明ですが、1624年春からルイス・ベルトラン・エクサルチ神父が入牢するまで神父に仕えました。ドミニコ会の1626年8月26日付けの記録には、「日本人の聖なる老人で、長い間ドミニコ会の神父たちに仕えてきた人である」と書かれています。

1626年7月28日の夜、ベルトラン神父と共に、三人の癩を患う婦人の小屋で逮捕されました。獄内で入会を希望したところ、ベルトラン神父は彼の功績を認め、助修士として受け入れました。そしてマンショ・デ・ラ・クルスと改名しました。

放虎原殉教地


「十字架の」という名を選らんだのは、彼の見た「二本の十字架」の夢にちなんだもので、この二本の十字架は、ベルトラン神父とフランシスコ会宣教師フランシスコ・デ・サンタ・マリア神父の殉教を予言するものとなりました。

マンショ・デ・ラ・クルスは入牢してから約一年後、1627年7月29日に初誓願を立て、数時間後に放虎原で火焙りとなって殉教しました。





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