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フランシスコ・デ・サンタ・マリア

                                 ?-1627年


1867年に列福された205名の殉教者の一人


スペイン人のフランシスコ会司祭。=P.Francisco De Santa María
1627年8月17日西坂で火刑に処されて殉教しました。



死に際しても説教


フランシスコ・デ・サンタ・マリアはスペインのマンシァ地方のモンタルヴァネホで生まれ、聖ヨゼフ管区のフランシスコ会に入りました。司祭に叙階されてから数年間スペインで働き、1606年にフィリピンに渡りました。語学の才に優れていたためタガログ語、中国語、日本語を習得し、マニラ近郊のバレテに設けられた日本人の小教区付き司祭として活躍しました。

1623年に日本に派遣され、長崎周辺の山間部と地方の村を巡回しながら働き、この巡回にバルトロメ・ラウレル修道士と日本人伝道士アントニオが同行しました。

1627年長崎に来た時訪問先を密告され、牢に入れられ、牢内でアントニオはフランシスコ会に入会を許され、殉教の前日に請願宣立を受理されました。1627年8月17日、フランシスコ神父とその2人の伴侶など11名が長崎で火刑に処されました。神父は死に際しても説教をしていたと目撃者が証言しています。





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