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ビセンテ・カルヴァリョ

                                 1590-1632年


1867年に列福された205名の殉教者の一人


アウグスチノ会のポルトガル人司祭。=ビセンテ・デ・サンアントニオ,ビセンテ・シモエンヌ
雲仙の地獄責めにあい、西坂で火刑に処され殉教しました。



雲仙地獄


ビセンテ・カルヴァリョは1590年、ポルトガルで医者の息子として生まれました。教区司祭になった後、宣教に力を尽くしたいと考え、1619年メキシコ行きの船に乗りました。メキシコで修練期を始め、フィリピンに渡り、1622年マニラで誓願を立てて、ビセンテ・デ・サンアントニオという修道名を受けました。

雲仙地獄


1623年にフランシスコ・デ・ヘススと一緒に来日し、1629年に平島に行き、フランシスコ神父に続いてビセンテ神父も逮捕されました。2人は長崎の牢に入れられました。

1631年12月3日、ビセンテ神父は4人の仲間(フランシスコ・デ・ヘスス、バルトロメ・グティエレスガブリエル・デ・ラ・サンタ・マグダレナアントニオ・ピント石田)と2人のポルトガル人女性と共に雲仙へと連行されました。

竹中重次から熱湯による地獄責めを受けても屈しなかったため、1632年9月3日、彼らは西坂へと連れて行かれて火刑に処されました。





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