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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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フランシスコ・デ・ヘスス

                                 1590-1632年


1867年に列福された205名の殉教者の一人


アウグスチノ会のスペイン人司祭。=フランシスコ・デ・テレロ
雲仙の地獄責めにあい、西坂で火刑に処され殉教しました。



米沢で活動


フランシスコ・デ・ヘススは1590年、スペインで生まれ、当時はフランシスコ・デ・テレロという名前でしたが、24歳のときアウグスチノ会に入会し、その時からフランシスコ・デ・ヘススと呼ばれるようになりました。

司祭に叙階されてからメキシコ経由でフィリピンに行き、1620年にマニラに到着しました。1623年に日本へ向かい、薩摩の久志(現・鹿児島県山辺郡坊津町)に上陸しました。バルトロメ・グティエレスと共にいて、日本語を勉強するために山中に隠れていましたが、キリシタンの世話をするために時折山を下りました。

雲仙地獄

2年余り過ごしてから、フランシスコ会のディエゴ・デ・サンフランシスコ神父に「東の諸国で働きたいから連れて行ってほしい」と懇願する手紙を書き、連れて行ってもらうことになりました。1626年ヘススは本州北部へ行き、1628年まで主に米沢で活動しました。

その後長崎に帰って来ましたが、迫害が厳しさを増していたので、ビセンテ・カルヴァリョ神父と平島で落ち合い、行動を共にしましたが、捕縛されてしまいました。ヘススとビセンテ両神父は長崎の牢に入れられました。

1631年12月3日、4人の仲間(ガブリエル・デ・ラ・サンタ・マグダレナ、バルトロメ・グティエレス、ビセンテ・カルヴァリョ、アントニオ・ピント石田)と2人のポルトガル人女性と共に雲仙へと連行されました。

竹中重次から熱湯による地獄責めを受けても屈しなかったため、1632年9月3日、彼らは西坂へと連れて行かれて火刑に処されました。





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