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ジェロニモ伊予

                                 1580頃-1632年


1867年に列福された205名の殉教者の一人


フランシスコ会の日本人司祭。=ヘロニモ伊予,イエロニモ伊予,ヘロニモ城,Jeronimo de la Cruz, Jeronimo Iyo
1632年に火刑に処され殉教しました。



マニラの日本人町で活動


ジェロニモ伊予は1575~1580年に豊後で生まれました。幼いときに捕虜としてイエズス会に売られましたが、才能を発揮したのでセミナリヨに送られました。次いで神学院にも進学し、下級聖職者に叙階されました。

1614年の追放令で、ジェロニモは他のフランシスコ会修道士と共にマニラへ渡りました。ジェロニモはソテロ神父が設立した神学院に入って、1619年にフランシスコ会第三会員として受け入れられました。

西坂殉教地

ソテロ神父が先に日本に行ってしまった後、ジェロニモは仲間たちとディラオの日本人町の教会にいて、そこの信者たちのために「公教要理」や「聖人伝」などの本を書きました。

1630年にジェロニモは日本に帰り、大胆に宣教をし、1632年9月3日他の宣教師たち(フランシスコ・デ・ヘススバルトロメ・グティエレスビセンテ・カルヴァリョアントニオ・ピント石田ガブリエル・デ・ラ・サンタ・マグダレナ)と一緒に西坂で火刑に処され殉教しました。





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