本文へスキップ

キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

トップページ > 私家版いじん伝 > 日本26聖人 > フランシスコ・ブランコ

フランシスコ・ブランコ

                                 1569-1597年

日本26聖人の一人


スペイン生まれのフランシスコ会司祭(神父)。

1596年長崎に到着しするとすぐ、京都に向い、日本語の習得に励み、数ヶ月で信徒の告白を聴くことができるまでになりました。槍で突かれる時に「主よ、我が魂を御手に委ねます」と叫んだと記録されており、処刑後も顔から微笑が消えなかったといいます。


スペイン人司祭

フランシスコ・ブランコ


フランシスコ・ブランコはスペインのモンテレイ市に生まれ、町にあったイエズス会の学校で勉強し、卒業後はサラマンカ大学で学びましたが、中退してフランシスコ会に入会しました。

メキシコとマニラに向う修道士たちに触発され、海外を目指すようになり、メキシコへ行ってマルチノ・デ・ラ・アセンシオンらから哲学等を学びました。

その後マニラへ行き、続けてマルチノらの下で神学を勉強し、マルチノが日本に渡る際に同行するはずだった修道者が留守だったため、代わりに一緒に日本に行くこととなりました。

日本に来て数ヶ月で、外国語の習熟に長けていたフランシスコは信者の告白ができるようになり、教会で熱心に働いていました。

秀吉の命で


1596年10月に起ったサン・フェリペ号事件をきっかけに、豊臣秀吉はキリスト教禁令を再度布告し、京都奉行の石田三成に命じて、京都周辺に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して磔の刑に処するよう命じました。

その結果、大坂と京都でフランシスコ会員7名と信徒14名、イエズス会関係者3名の合計24名が捕縛され、小川町牢に入れられました。24名は京都の一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされ、市中引き回しとなった上、見せしめのために長崎まで引き立てられ、そこで処刑されることとされました。

長崎・西坂の丘

西坂の丘


道中でペトロ助四郎伊勢のフランシスコも捕縛され、26名となった一行は、長崎の西坂にあった処刑場へと連行され、1597年2月5日(慶長元年12月19日)、槍につかれて処刑されました。これは国の最高権力者の命令で行われた日本で初めてのキリシタン処刑でした。

槍で突かれる時に「主よ、我が魂を御手に委ねます」と叫んだと記録されています。殉教した時はまだ26歳の若い神父でした。

列福と列聖


1627年、教皇ウルバノ8世はこの26名を福者とすることとし、1862年には教皇ピオ9世がこの殉教者たちを聖人に列しました。現在長崎の西坂殉教地には二十六聖人記念碑と二十六聖人記念館が建てられ、隣に聖フィリポ教会が建てられています。





インフォメーション
《本サイト内の関連ページ》



                                         NEXT >>