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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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ボナベントゥラ

                                 1572頃-1597年

日本26聖人の一人


京都生まれのキリシタン。=ベントゥラ

出生後間もない時に受洗しましたが、そのことを知らぬまま継母によって寺に預けられ、20年ほど暮らしてから、受洗していたことを知り、フランシスコ会教会に赴き教理を学び、キリシタンになったと伝えられています。教会で働き、宣教に尽力しました。

ボナベントゥラが洗礼名ですが、スペイン風にベントゥラと呼ばれていて、殉教した時24、25歳でした。


京都生まれのキリシタン

ボナベントゥラ


ボナベントゥラの両親はキリシタンだったので、生まれてすぐ洗礼を受けたのですが、その後母が死去し、父シクストは信者でない女性を再婚して教会から離れてしまい、幼いボナベントゥラは寺に預けられました。

ボナベントゥラは約20年間寺で暮らし、ある時自分が洗礼を受けていたことを知ってキリスト教に興味を抱き、修道院を訪れ勉強するようになりました。そして洗礼を受けてキリシタンとなり、修道院で同宿を務めました。

秀吉の命で


1596年10月に起ったサン・フェリペ号事件をきっかけに、豊臣秀吉はキリスト教禁令を再度布告し、京都奉行の石田三成に命じて、京都周辺に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して磔の刑に処するよう命じました。

その結果、大坂と京都でフランシスコ会員7名と信徒14名、イエズス会関係者3名の合計24名が捕縛され、小川町牢に入れられました。24名は京都の一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされ、市中引き回しとなった上、見せしめのために長崎まで引き立てられ、そこで処刑されることとされました。

ボナベントゥラの手紙


ボナベントゥラは長崎に連行されていく途中、備前国(岡山県)片上で父と継母に手紙を送りました。父には生活を改めるように勧め、継母には信者になることを願う内容でした。ボナベントゥラは彼らのために祈りながら十字架の道を歩んでいきました。

長崎・西坂の丘

西坂の丘


道中でペトロ助四郎伊勢のフランシスコも捕縛され、26名となった一行は、長崎の西坂にあった処刑場へと連行され、1597年2月5日(慶長元年12月19日)、槍につかれて処刑されました。これは国の最高権力者の命令で行われた日本で初めてのキリシタン処刑でした。

列福と列聖


1627年、教皇ウルバノ8世はこの26名を福者とすることとし、1862年には教皇ピオ9世がこの殉教者たちを聖人に列しました。現在長崎の西坂殉教地には二十六聖人記念碑と二十六聖人記念館が建てられ、隣に聖フィリポ教会が建てられています。





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