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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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フランシスコ・デ・サン・ミゲル

                                 1544-1597年

日本26聖人の一人


スペイン生まれのフランシスコ会修道士。=Ir. San Francisco De Miguel

若くして入会し、スペイン、メキシコ、マニラで司祭たちの活動を支え、マニラにいる時に日本での宣教を志すようになりました。念願叶って1593年、マニラ総督の使節となったペドロ・バプチスタに同行して来日。京都の教会では主に炊事と受付の仕事をし、愛徳の実践者だったと伝わっています。


スペイン人修道士

フランシスコ・デ・サン・ミゲル


フランシスコ・デ・サン・ミゲルはスペインのバリャドリード県の農家に生まれ、フランシスコ会に入会してからは、スペイン、メキシコ、マニラで修道士として働きました。

マニラにいる時ある病院で日本人に出会い、その時からフランシスコは日本での宣教を夢見るようになり、北風が吹いている日は浜に出てうれしそうに「日本からの風」を吸っていたといいます。

フランシスコの姿


1593年、マニラ総督の使節となったペドロ・バプチスタに同行する一行にフランシスコも選ばれ、京都へと来ることができました。しかし既に50歳になっていたので日本語を習うのが困難で、自分は役に立たないのではないかと試みに遭いました。

フランシスコは自分のできない宣教の仕事を司祭たちに勧め、炊事や受付の仕事を勝って出ました。捕縛されて長崎に向かう間はロザリオを手に祈りながら一ヶ月の旅路を続け、十字架に架けられても落ち着いて天を仰いで祈っていたと記されています。

秀吉の命で


1596年10月に起ったサン・フェリペ号事件をきっかけに、豊臣秀吉はキリスト教禁令を再度布告し、京都奉行の石田三成に命じて、京都周辺に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して磔の刑に処するよう命じました。

その結果、大坂と京都でフランシスコ会員7名と信徒14名、イエズス会関係者3名の合計24名が捕縛され、小川町牢に入れられました。24名は京都の一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされ、市中引き回しとなった上、見せしめのために長崎まで引き立てられ、そこで処刑されることとされました。

長崎・西坂の丘

西坂の丘


道中でペトロ助四郎伊勢のフランシスコも捕縛され、26名となった一行は、長崎の西坂にあった処刑場へと連行され、1597年2月5日(慶長元年12月19日)、槍につかれて処刑されました。これは国の最高権力者の命令で行われた日本で初めてのキリシタン処刑でした。

列福と列聖


1627年、教皇ウルバノ8世はこの26名を福者とすることとし、1862年には教皇ピオ9世がこの殉教者たちを聖人に列しました。現在長崎の西坂殉教地には二十六聖人記念碑と二十六聖人記念館が建てられ、隣に聖フィリポ教会が建てられています。





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