本文へスキップ

キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

トップページ > 私家版いじん伝 > 日本26聖人 > ヨハネ五島

ヨハネ五島

                                 1578頃-1597年

日本26聖人の一人


長崎県の五島列島生まれの修道士。=ジョアン五島

幼い頃から長崎の岬の教会へ通い、有馬のセミナリヨで学びました。死の直前に正式にイエズス会に入会しました。


五島列島生まれの修道士

ヨハネ五島


ヨハネ五島は1578年頃、五島列島の福江島で生まれたと考えられています。少年の頃から岬の教会へと通い、12歳になった時、有馬のセミナリヨに入りました。

天草の志岐でモレホン神父の下で働き、神父にお供して1594年頃大坂へと行き、同宿として働いていました。

秀吉の命で


1596年10月に起ったサン・フェリペ号事件をきっかけに、豊臣秀吉はキリスト教禁令を再度布告し、京都奉行の石田三成に命じて、京都周辺に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して磔の刑に処するよう命じました。

その結果、大坂と京都でフランシスコ会員7名と信徒14名、イエズス会関係者3名の合計24名が捕縛され、小川町牢に入れられました。24名は京都の一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされ、市中引き回しとなった上、見せしめのために長崎まで引き立てられ、そこで処刑されることとされました。

長崎でイエズス会に入会


ヨハネ五島はイエズス会への入会を希望していましたが、機会を得られず、十字架につけられる直前に浦上のサン・ラザロ病院の小聖堂で初めての誓願を立て、イエズス会士として生涯を神に捧げることを誓いました。この時ディエゴ喜斎も一緒にイエズス会に入りました。

刑場にはキリシタンである両親が来ていて、ヨハネは両親に永遠の救いのことを大切にするように語りました。父もまた息子に答えて「神の奉仕のために死ぬのだから喜びをもって生命を捧げなさい。私たち夫婦も同じようにする覚悟ができている」と話したといいます。

長崎・西坂の丘

西坂の丘


道中でペトロ助四郎伊勢のフランシスコも捕縛され、26名となった一行は、長崎の西坂にあった処刑場へと連行され、1597年2月5日(慶長元年12月19日)、槍につかれて処刑されました。これは国の最高権力者の命令で行われた日本で初めてのキリシタン処刑でした。

列福と列聖


1627年、教皇ウルバノ8世はこの26名を福者とすることとし、1862年には教皇ピオ9世がこの殉教者たちを聖人に列しました。現在長崎の西坂殉教地には二十六聖人記念碑と二十六聖人記念館が建てられ、隣に聖フィリポ教会が建てられています。





インフォメーション
《本サイト内の関連ページ》



                                         NEXT >>