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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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フランシスコ

                                 1550頃-1597年

日本26聖人の一人


京都生まれのキリシタン。=医師のフランシスコ
京都のフランシスコ会で洗礼を受け、聖ヨゼフ病院で活躍しました。

元は大友宗麟の侍医で、宗麟のロザリオを形見として持っていました。京都のフランシスコ会で洗礼を受け、聖ヨゼフ病院で活躍。フランシスコは中国の古典に詳しく、医師としての働きの他に、上品な文体で手紙や書類を書くなどして教会の役に立ちました。信徒捕縛のためのキリシタン名簿に自分の名前がないことを知り、記入を代官に申し出て捕らえられました。殉教した時、46歳でした。


大友宗麟の侍医だった

フランシスコ


フランシスコは豊後のキリシタン大名大友宗麟に仕えた医者で、宗麟が津久見で亡くなった時にその傍らにしました。その時はまだキリシタンではありませんでしたが、宗麟の強い信仰と高い徳に感銘を受け、宗麟から形見としてロザリオをもらって大切にしていました。

1593年、宗麟の息子、大友義統に従って朝鮮に渡り、そこで数人のキリシタンと出会って信徒になることを決意。義統が領地を失うと、フランシスコは京都に戻り、案内されたフランシスコ会の教会で洗礼を受けました。

その後妻と小さな息子も受洗に導き、医者としての仕事を次第に少なくして、伝道師となり、優れた筆の力で祈祷書や教理本などを書写し、教会に仕えました。

秀吉の命で


1596年10月に起ったサン・フェリペ号事件をきっかけに、豊臣秀吉はキリスト教禁令を再度布告し、京都奉行の石田三成に命じて、京都周辺に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して磔の刑に処するよう命じました。

その結果、大坂と京都でフランシスコ会員7名と信徒14名、イエズス会関係者3名の合計24名が捕縛され、小川町牢に入れられました。24名は京都の一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされ、市中引き回しとなった上、見せしめのために長崎まで引き立てられ、そこで処刑されることとされました。

長崎・西坂の丘

西坂の丘


道中でペトロ助四郎伊勢のフランシスコも捕縛され、26名となった一行は、長崎の西坂にあった処刑場へと連行され、1597年2月5日(慶長元年12月19日)、槍につかれて処刑されました。これは国の最高権力者の命令で行われた日本で初めてのキリシタン処刑でした。

列福と列聖


1627年、教皇ウルバノ8世はこの26名を福者とすることとし、1862年には教皇ピオ9世がこの殉教者たちを聖人に列しました。現在長崎の西坂殉教地には二十六聖人記念碑と二十六聖人記念館が建てられ、隣に聖フィリポ教会が建てられています。





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