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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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ヨハネ絹屋

                                 1569-1597年

日本26聖人の一人


京都生まれのキリシタン。=ファン絹屋

京都生まれの絹織物商で、キリシタンであった兄の勧めで宣教師から話を聞いて感銘を受け、妻と息子と共に洗礼を受けました。受洗してから間もなく迫害が起り、捕縛され殉教しました。殉教した時24歳でした。


京都生まれの絹織物商

ヨハネ絹屋


ヨハネ絹屋は結婚していて小さな息子が一人いました。仕事は絹織物商で、既にキリシタンになっていた兄の勧めに従ってキリスト教の教理を学び、妻子と一緒に洗礼を受けました。

修道院の近くに住んでいたので、仕事をしながら熱心に祈りの生活をしていました。

秀吉の命で


1596年10月に起ったサン・フェリペ号事件をきっかけに、豊臣秀吉はキリスト教禁令を再度布告し、京都奉行の石田三成に命じて、京都周辺に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して磔の刑に処するよう命じました。

その結果、大坂と京都でフランシスコ会員7名と信徒14名、イエズス会関係者3名の合計24名が捕縛され、小川町牢に入れられました。24名は京都の一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされ、市中引き回しとなった上、見せしめのために長崎まで引き立てられ、そこで処刑されることとされました。

長崎・西坂の丘

西坂の丘


道中でペトロ助四郎伊勢のフランシスコも捕縛され、26名となった一行は、長崎の西坂にあった処刑場へと連行され、1597年2月5日(慶長元年12月19日)、槍につかれて処刑されました。これは国の最高権力者の命令で行われた日本で初めてのキリシタン処刑でした。

列福と列聖


1627年、教皇ウルバノ8世はこの26名を福者とすることとし、1862年には教皇ピオ9世がこの殉教者たちを聖人に列しました。現在長崎の西坂殉教地には二十六聖人記念碑と二十六聖人記念館が建てられ、隣に聖フィリポ教会が建てられています。





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