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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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ディエゴ喜斎

                                 1533頃-1597年

日本26聖人の一人


備前国(現在の岡山県)生まれのイエズス会修道士。=ヤコボ喜斎

早い時期からキリシタンとなり、大坂のイエズス会で活動しているところを捕縛されました。殉教の直前に正式にイエズス会に入会しました。26聖人の中で最年長の64歳で殉教しました。


備前生まれのイエズス会士

ディエゴ喜斎


ディエゴ喜斎は1533年頃備前国(岡山県)に生まれました。「喜斎」というのが苗字ではなく、斎名で書と茶の道に通じていたことから、元は武士だったろうと考えられています。

信者の女性と結婚していましたが、妻が信仰とディエゴを捨てて出て行ってしまったので、ディエゴは晩年を神に捧げようと剃髪し、大坂へと来て教会に奉仕しました。教会では主に来客の接待などの受付の仕事をしていました。

秀吉の命で


1596年10月に起ったサン・フェリペ号事件をきっかけに、豊臣秀吉はキリスト教禁令を再度布告し、京都奉行の石田三成に命じて、京都周辺に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して磔の刑に処するよう命じました。

その結果、大坂と京都でフランシスコ会員7名と信徒14名、イエズス会関係者3名の合計24名が捕縛され、小川町牢に入れられました。24名は京都の一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされ、市中引き回しとなった上、見せしめのために長崎まで引き立てられ、そこで処刑されることとされました。

イエズス会に入会


イエズス会への入会を希望していましたが、機会が与えられず、処刑される直前に正式に入会を認められ、ヨハネ五島と一緒に浦上のサン・ラザロ病院の小聖堂で誓願を立てました。

長崎・西坂の丘

西坂の丘


道中でペトロ助四郎伊勢のフランシスコも捕縛され、26名となった一行は、長崎の西坂にあった処刑場へと連行され、1597年2月5日(慶長元年12月19日)、槍につかれて処刑されました。これは国の最高権力者の命令で行われた日本で初めてのキリシタン処刑でした。

列福と列聖


1627年、教皇ウルバノ8世はこの26名を福者とすることとし、1862年には教皇ピオ9世がこの殉教者たちを聖人に列しました。現在長崎の西坂殉教地には二十六聖人記念碑と二十六聖人記念館が建てられ、隣に聖フィリポ教会が建てられています。

カトリック岡山教会にはディエゴ喜斎の像が建てられ、彼を記念する巡礼が毎年行われています。





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