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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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フランシスコ吉

                                 不明-1597年

日本26聖人の一人


伊勢生まれのキリシタン。=伊勢のフランシスコ

フランシスコ吉は伊勢で生まれ、京都で大工をしていて洗礼を受けました。キリシタン狩りが行われた時にはフランシスコは捕縛されませんでしたが、殉教者と共にしたいという願いを持って長崎への道に同行しました。途中で役人に「お前もキリシタンか」と問われて、信仰を明らかにして捕らえられ、殉教者の一人となりました。洗礼を受けてから殉教までの期間はわずか8ヶ月でした。


伊勢生まれのキリシタン

フランシスコ吉


伊勢で生まれ、京都に出て来て大工をしていましたが洗礼を受けてキリシタンになり、その時は「ガヨ」という洗礼名を受けましたが、堅信礼の時にマルティンス司教が「フランシスコ」という名前に変えました。フランシスコがフランシスコ・ザビエルをとても尊敬していたからです。

フランシスコは殉教者たちと共に歩み、彼らの最後を見届けるために、京都、大坂と同行し、岡山から山口の間のどこかで役人から「お前もキリシタンか」と詰問され、そうですと答えてペドロ助四郎と一緒に捕縛されました。

秀吉の命で


1596年10月に起ったサン・フェリペ号事件をきっかけに、豊臣秀吉はキリスト教禁令を再度布告し、京都奉行の石田三成に命じて、京都周辺に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して磔の刑に処するよう命じました。

その結果、大坂と京都でフランシスコ会員7名と信徒14名、イエズス会関係者3名の合計24名が捕縛され、小川町牢に入れられました。24名は京都の一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされ、市中引き回しとなった上、見せしめのために長崎まで引き立てられ、そこで処刑されることとされました。

長崎・西坂の丘

西坂の丘


道中でペトロ助四郎と伊勢のフランシスコも捕縛され、26名となった一行は、長崎の西坂にあった処刑場へと連行され、1597年2月5日(慶長元年12月19日)、槍につかれて処刑されました。これは国の最高権力者の命令で行われた日本で初めてのキリシタン処刑でした。

処刑される直前、サン・ラザロ病院の側で休息している時にロドリゲス神父に最後の告白をして、伊勢に残した妻が信者になるよう取次ぎを願ったことが伝わっています。

列福と列聖


1627年、教皇ウルバノ8世はこの26名を福者とすることとし、1862年には教皇ピオ9世がこの殉教者たちを聖人に列しました。現在長崎の西坂殉教地には二十六聖人記念碑と二十六聖人記念館が建てられ、隣に聖フィリポ教会が建てられています。




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