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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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レオン烏丸

                                 1548頃-1597年

日本26聖人の一人


尾張生まれのキリシタン。=レオ烏丸

パウロ茨木の弟で、ルドビコ茨木の叔父という親族関係でした。30歳まで僧侶でしたが、イエズス会宣教師のもとで受洗し、以後教会や病院で奉仕しました。フランシスコ会の修道士として教会や病院で奉仕し、「神の聖役者」とよばれるほどでした。


尾張生まれのキリシタン

レオン烏丸


レオン烏丸の姓は「茨木」で、故郷は尾張国花正地方だったと考えられています。少年時代から寺に入り、30歳まで僧として暮していましたが、イエズス会の修道士に出会い、キリシタンになることを決意して寺を去りました。

その後キリシタンの女性と結婚して京都に移り住み、妙満寺跡地にフランシスコ会の教会が建てられる時には世話係として活躍。妻と幼い一人娘と教会の近くに住んで、伝道師として働きました。

秀吉の命で


1596年10月に起ったサン・フェリペ号事件をきっかけに、豊臣秀吉はキリスト教禁令を再度布告し、京都奉行の石田三成に命じて、京都周辺に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して磔の刑に処するよう命じました。

その結果、大坂と京都でフランシスコ会員7名と信徒14名、イエズス会関係者3名の合計24名が捕縛され、小川町牢に入れられました。24名は京都の一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされ、市中引き回しとなった上、見せしめのために長崎まで引き立てられ、そこで処刑されることとされました。

長崎・西坂の丘

西坂の丘


道中でペトロ助四郎伊勢のフランシスコも捕縛され、26名となった一行は、長崎の西坂にあった処刑場へと連行され、1597年2月5日(慶長元年12月19日)、槍につかれて処刑されました。これは国の最高権力者の命令で行われた日本で初めてのキリシタン処刑でした。

列福と列聖


1627年、教皇ウルバノ8世はこの26名を福者とすることとし、1862年には教皇ピオ9世がこの殉教者たちを聖人に列しました。現在長崎の西坂殉教地には二十六聖人記念碑と二十六聖人記念館が建てられ、隣に聖フィリポ教会が建てられています。





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