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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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ルドビコ茨木

                                 1585-1597年

日本26聖人の一人


26名中、最年少で殉教したキリシタンの少年。=ルドヴィコ茨木

パウロ茨木レオン烏丸の甥として尾張で生まれ、京都のフランシスコ会修道院で侍者として、司祭の手伝いをしていました。捕縛の際に除外されたのですが、自ら願い出て捕らえられました。


12歳のキリシタン殉教者

ルドビコ茨木


ルドビコ茨木はパウロ茨木とレオン烏丸の甥で、父はキリシタンではない彼らの兄弟でした。レオン烏丸はルドビコを自分の家に招いて信者になるまで導いて、受洗後はフランシスコ会の修道院で同宿として育てられるようにしました。

秀吉の命で


1596年10月に起ったサン・フェリペ号事件をきっかけに、豊臣秀吉はキリスト教禁令を再度布告し、京都奉行の石田三成に命じて、京都周辺に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して磔の刑に処するよう命じました。

その結果、大坂と京都でフランシスコ会員7名と信徒14名、イエズス会関係者3名の合計24名が捕縛され、小川町牢に入れられました。24名は京都の一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされ、市中引き回しとなった上、見せしめのために長崎まで引き立てられ、そこで処刑されることとされました。

長崎・西坂の丘

西坂の丘


道中でペトロ助四郎伊勢のフランシスコも捕縛され、26名となった一行は、長崎の西坂にあった処刑場へと連行され、1597年2月5日(慶長元年12月19日)、槍につかれて処刑されました。これは国の最高権力者の命令で行われた日本で初めてのキリシタン処刑でした。

ルドビコの言葉


長崎で26人を処刑する役を命じられていたのは寺沢半三郎といい、パウロ三木から数回キリスト教の話を聞いたことがあり、キリシタンに同情的な者でした。当初24人のキリシタンが来ると聞いていたのに、26人が来たため、半三郎は最年少の少年ルドビコを許してやることができるのではないかと考え話しかけました。

半三郎が「キリシタンの教えを捨てて私に仕えるのなら助けよう」と言うと、ルドビコは「それは出来ません。すぐに終わってしまう短い命と、永遠の命を交換するのは意味がないことです」と答えたといいます。ルドビコは最期の時までアントニオと「子供たちよ、神をたたえよ」を賛美していました。

列福と列聖


1627年、教皇ウルバノ8世はこの26名を福者とすることとし、1862年には教皇ピオ9世がこの殉教者たちを聖人に列しました。現在長崎の西坂殉教地には二十六聖人記念碑と二十六聖人記念館が建てられ、隣に聖フィリポ教会が建てられています。





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