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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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ミゲル小崎

                                 1551-1597年

日本26聖人の一人


伊勢生まれのキリシタン。同じく26聖人の一人となったトマス小崎の父。
元々は弓矢師でしたが、ある日宣教師の説教を聞き、キリシタンとなり、後にフランシスコ会に入会しました。

京都と大坂の教会建設に尽力していましたが、捕らえられ、身柄が送られた京都の牢で、息子トマス小崎と再会。共に殉教することとなりました。長崎への道中に息子が母に宛てて書いた手紙を、誰にも託すことができず懐にしまっていたのですが、殉教した際に信徒たちによってそれが発見され、今に内容が伝えられています。


伊勢生まれのキリシタン

ミゲル小崎


伊勢に生まれ、大坂で弓矢師として働いていたキリシタンで、いつ洗礼を受けたかは不明ですが、大工の知識を持っていたので、京都にフランシスコ会の教会が建てられる時に尽力し、そこで息子のトマスも手伝いをしていて同宿への道を歩むことになりました。

秀吉の命で


1596年10月に起ったサン・フェリペ号事件をきっかけに、豊臣秀吉はキリスト教禁令を再度布告し、京都奉行の石田三成に命じて、京都周辺に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して磔の刑に処するよう命じました。

その結果、大坂と京都でフランシスコ会員7名と信徒14名、イエズス会関係者3名の合計24名が捕縛され、小川町牢に入れられました。24名は京都の一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされ、市中引き回しとなった上、見せしめのために長崎まで引き立てられ、そこで処刑されることとされました。

長崎・西坂の丘

西坂の丘


道中でペトロ助四郎伊勢のフランシスコも捕縛され、26名となった一行は、長崎の西坂にあった処刑場へと連行され、1597年2月5日(慶長元年12月19日)、槍につかれて処刑されました。これは国の最高権力者の命令で行われた日本で初めてのキリシタン処刑でした。

列福と列聖


1627年、教皇ウルバノ8世はこの26名を福者とすることとし、1862年には教皇ピオ9世がこの殉教者たちを聖人に列しました。現在長崎の西坂殉教地には二十六聖人記念碑と二十六聖人記念館が建てられ、隣に聖フィリポ教会が建てられています。




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