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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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パウロ三木

                                 1564-1597年

日本26聖人の一人


摂津国(大坂)生まれのイエズス会修道士。
安土セミナリヨの第一期生で、有能な説教師でした。

パウロ三木は摂津国で生まれ、第一期生として安土セミナリヨで学びました。1585年イエズス会に入会し、有馬と天草で学んだ後、長崎や大坂で布教活動に従事しました。長崎に連行されていく道中でも説教をし続け、宿泊先の牢でも宣べ伝えしたので、牢屋の役人が伝道されてキリシタンになったこともありました。


日本教会の代表的な殉教者

パウロ三木


パウロ三木の父、三木判太夫は阿波国(徳島)出身の武士で、三好長慶に従って五畿内に渡り、1564年頃ヴィレラ神父より飯盛城で受洗したと考えられています。

パウロ三木は父が受洗した頃摂津国(大坂)で生まれ、父はパウロが教会で育てられることを願いオルガンティーノ神父に委ねました。1581年に安土セミナリヨが出来ると、パウロはその第一期生として入学。本能寺の変の後は、高槻に移されたセミナリヨで学びました。

セミナリヨやコレジヨの記録によると、パウロはラテン語があまり好きでないと書かれていますが、日本語と日本文学に優れており、これが説教師としての才能に結びつきました。1594年頃パウロ三木は大坂の教会へ行くよう任命され、モレホン神父の下で活発に働きました。

秀吉の命で


1596年10月に起ったサン・フェリペ号事件をきっかけに、豊臣秀吉はキリスト教禁令を再度布告し、京都奉行の石田三成に命じて、京都周辺に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して磔の刑に処するよう命じました。

その結果、大坂と京都でフランシスコ会員7名と信徒14名、イエズス会関係者3名の合計24名が捕縛され、小川町牢に入れられました。24名は京都の一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされ、市中引き回しとなった上、見せしめのために長崎まで引き立てられ、そこで処刑されることとされました。

長崎までの路程


パウロ三木は大坂で捕縛され、1597年の1月1日に京都の牢に投獄されました。その日は折りしもイエズス会の祝日で、パウロは牢屋の中でも熱心に福音を伝えました。備前国(岡山)の片上ではペトロ・ゴメス神父と長崎のイエズス会員に手紙を出し、その内容が今に伝えられています。またパウロは長崎の西坂近くで出迎えた友人に「京都を出てからここに至るまで一日も説教することを休まなかった」と話したといいます。

処刑の執行役となった寺沢半三郎はパウロ三木の知り合いで、パウロから何度か説教を聞いたことがある人物でした。

長崎・西坂の丘

西坂の丘


道中でペトロ助四郎伊勢のフランシスコも捕縛され、26名となった一行は、長崎の西坂にあった処刑場へと連行され、1597年2月5日(慶長元年12月19日)、槍につかれて処刑されました。これは国の最高権力者の命令で行われた日本で初めてのキリシタン処刑でした。

列福と列聖


1627年、教皇ウルバノ8世はこの26名を福者とすることとし、1862年には教皇ピオ9世がこの殉教者たちを聖人に列しました。現在長崎の西坂殉教地には二十六聖人記念碑と二十六聖人記念館が建てられ、隣に聖フィリポ教会が建てられています。





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