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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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フィリポ・デ・ヘスス

                                 1572-1597年

日本26聖人の一人


メキシコ生まれのフランシスコ会修道士。

司祭に叙階されるためにメキシコに向おうとサン・フェリペ号に乗船していたところを逮捕され、禁教令が出されているにも関わらず宣教師が船に乗っていたと詰問され、乗船していた宣教師の中で彼だけが長崎に送られ、殉教しました。


サン・フェリペ号に乗船

フィリポ・デ・ヘスス


フィリポ・デ・ヘススは1572年5月頃、メキシコ市で生まれました。両親はスペイン人で、セビリヤで出会い1570年に結婚し、1571年にアメリカへ向って出発しました。

成長したフィリポはプエブラ市のフランシスコ会修道院に入会しましたが、修道生活に慣れることができず逃げ出して、一時銀細工師をしていました。その後貿易の道を選んでマニラに行ったのですが、もう一度神に仕えることを考えるようになり、22歳でマニラのサン・フランシスコ修道院の門を叩きました。

1594年に誓願を立て、司祭叙階のためにメキシコに向う船サン・フェリペ号に乗りましたが、船は嵐で難破して土佐沖に着きました。

秀吉の命で


1596年10月に起ったサン・フェリペ号事件をきっかけに、豊臣秀吉はキリスト教禁令を再度布告し、京都奉行の石田三成に命じて、京都周辺に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して磔の刑に処するよう命じました。

その結果、大坂と京都でフランシスコ会員7名と信徒14名、イエズス会関係者3名の合計24名が捕縛され、小川町牢に入れられました。24名は京都の一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされ、市中引き回しとなった上、見せしめのために長崎まで引き立てられ、そこで処刑されることとされました。

長崎・西坂の丘

西坂の丘


道中でペトロ助四郎伊勢のフランシスコも捕縛され、26名となった一行は、長崎の西坂にあった処刑場へと連行され、1597年2月5日(慶長元年12月19日)、槍につかれて処刑されました。これは国の最高権力者の命令で行われた日本で初めてのキリシタン処刑でした。

フェリペの道


フィリポ・デ・ヘススは自分に向う神の御旨が十字架の道であることを悟り、長崎への道中で出会ったサン・フェリペ号の乗組員の一人にこう語りました。「サン・フェリペ号が失われたのは私が救われるためだった」と。

西坂の十字架の列では、フェリペはちょうど真ん中の13番目で、処刑は両側から始まるため、フェリペは最後に処刑されるはずでしたが、役人が間違ってフェリペの足が横木に届かない体勢で十字架に付けたので、首が吊られて鉄の輪で彼の息は止められていました。そのためそれに気付いた寺沢半三郎がフェリペを最初に槍で突くように命じ、最初に殉教することになりました。処刑された時フェリペは24歳でした。

列福と列聖


1627年、教皇ウルバノ8世はこの26名を福者とすることとし、1862年には教皇ピオ9世がこの殉教者たちを聖人に列しました。現在長崎の西坂殉教地には二十六聖人記念碑と二十六聖人記念館が建てられ、隣に聖フィリポ教会が建てられています。





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