本文へスキップ

キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

トップページ > 私家版いじん伝 > 日本26聖人 > ヨアキム榊原

ヨアキム榊原

                                 1557-1597年

日本26聖人の一人


大坂生まれのキリシタン。=ジョウチン榊原

大坂で生まれ、京都で医学を学んでいましたが、宣教師の説教に惹かれて入信。フランシスコ会の教会で料理人として働き、大坂の教会建設に尽力しました。また修道院附属の病院で貧しい病人たちに奉仕していました。


大坂生まれのキリシタン

ヨアキム榊原


ヨアキム榊原は大坂の出身で、受洗した時既に46歳でした。先に妻がキリシタンになり、ヨアキムは病気で命が危なかった時にパウロという信徒から洗礼を受けました。

その病が完全に回復していない中でも、大坂の修道院の工事を手伝っていたところ、リバデネイラ神父に会い、神父から頼まれて修道院の料理人となりました。

秀吉の命で


1596年10月に起ったサン・フェリペ号事件をきっかけに、豊臣秀吉はキリスト教禁令を再度布告し、京都奉行の石田三成に命じて、京都周辺に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して磔の刑に処するよう命じました。

その結果、大坂と京都でフランシスコ会員7名と信徒14名、イエズス会関係者3名の合計24名が捕縛され、小川町牢に入れられました。24名は京都の一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされ、市中引き回しとなった上、見せしめのために長崎まで引き立てられ、そこで処刑されることとされました。

長崎・西坂の丘

西坂の丘


道中でペトロ助四郎伊勢のフランシスコも捕縛され、26名となった一行は、長崎の西坂にあった処刑場へと連行され、1597年2月5日(慶長元年12月19日)、槍につかれて処刑されました。これは国の最高権力者の命令で行われた日本で初めてのキリシタン処刑でした。

列福と列聖


1627年、教皇ウルバノ8世はこの26名を福者とすることとし、1862年には教皇ピオ9世がこの殉教者たちを聖人に列しました。現在長崎の西坂殉教地には二十六聖人記念碑と二十六聖人記念館が建てられ、隣に聖フィリポ教会が建てられています。





インフォメーション
《本サイト内の関連ページ》



                                         NEXT >>