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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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ペドロ助四郎

                                 不明-1597年

日本26聖人の一人


京都生まれのキリシタン。

長崎へ連行されていくキリシタンの世話をするようにと、京都のオルガンティーノ神父に依頼されて、同行するようになり、途中で捕縛されて26聖人の一人となりました。


途中で加えられたキリシタン

ペドロ助四郎


ペドロ助四郎は京都の熱心な信徒で、長崎へと向うキリシタンの世話をしてほしいとオルガンティーノ神父に頼まれて、危険を承知で24人の同行するようになりました。

備前国(岡山県)を通過する辺りまではまだ自由の身であったため、片上からパウロ三木が書いた手紙には「助四郎ペドロは非常に元気で、決して私たちの側から離れません。下関に着いたら便りを伝えるために彼を先に送ります」と書かれています。

この手紙はペドロの取り計らいで長崎に送られたと考えられますが、下関に着く前にペドロは既に捕らえられて自由ではありませんでした。ペドロがいつどこで捕縛されたのかはっきりとは分かりませんが、片上から下関の間であったことは確かです。

ある時役人がペドロとフランシスコの様子を見て、彼らもキリシタンで金銭を持っていそうだと思い、フランシスコを捕らえ「お前もキリシタンか」と尋ね、彼らが信仰を明らかにしたので24人の中に加えられたのです。長崎に到着する前に処刑されると告げられましたが、彼らは自分の運命を天に委ね、十字架の道を受け入れました。

秀吉の命で


1596年10月に起ったサン・フェリペ号事件をきっかけに、豊臣秀吉はキリスト教禁令を再度布告し、京都奉行の石田三成に命じて、京都周辺に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して磔の刑に処するよう命じました。

その結果、大坂と京都でフランシスコ会員7名と信徒14名、イエズス会関係者3名の合計24名が捕縛され、小川町牢に入れられました。24名は京都の一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされ、市中引き回しとなった上、見せしめのために長崎まで引き立てられ、そこで処刑されることとされました。

長崎・西坂の丘

西坂の丘


道中でペトロ助四郎伊勢のフランシスコも捕縛され、26名となった一行は、長崎の西坂にあった処刑場へと連行され、1597年2月5日(慶長元年12月19日)、槍につかれて処刑されました。これは国の最高権力者の命令で行われた日本で初めてのキリシタン処刑でした。

列福と列聖


1627年、教皇ウルバノ8世はこの26名を福者とすることとし、1862年には教皇ピオ9世がこの殉教者たちを聖人に列しました。現在長崎の西坂殉教地には二十六聖人記念碑と二十六聖人記念館が建てられ、隣に聖フィリポ教会が建てられています。





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