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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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パウロ鈴木

                                 1549頃-1597年

日本26聖人の一人


尾張生まれのキリシタン。

尾張生まれの武士でしたが京都に出てきて、そこで洗礼を受けました。「だいうす町」と呼ばれたキリシタンの町で暮らし、教会附属の病院で奉仕活動をしていたことが分かっています。また通訳として宣教師を手伝い、自らも説教師として活躍したと伝えられています。長崎の西坂で殉教し、1597年2月5日に列聖されました。


尾張生まれの武士

パウロ鈴木


京都のフランシスコ会教会で慈悲の行いをし、教会附属の病院ができてからは、そこで奉仕の精神を持って働いていました。パウロ鈴木には2人の子供がありましたが、幼くして亡くしていたので、捨てられた子供拾い、妻が育てるようにしていました。

雄弁で神の言葉をよく伝える人だったとも言われています。また文字の書けない宣教師たちの代わりに手紙を書いたり、頼まれ仕事をしたりして教会に仕えました。

秀吉の命で


1596年10月に起ったサン・フェリペ号事件をきっかけに、豊臣秀吉はキリスト教禁令を再度布告し、京都奉行の石田三成に命じて、京都周辺に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して磔の刑に処するよう命じました。

その結果、大坂と京都でフランシスコ会員7名と信徒14名、イエズス会関係者3名の合計24名が捕縛され、小川町牢に入れられました。24名は京都の一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされ、市中引き回しとなった上、見せしめのために長崎まで引き立てられ、そこで処刑されることとされました。

長崎・西坂の丘

西坂の丘


道中でペトロ助四郎伊勢のフランシスコも捕縛され、26名となった一行は、長崎の西坂にあった処刑場へと連行され、1597年2月5日(慶長元年12月19日)、槍につかれて処刑されました。これは国の最高権力者の命令で行われた日本で初めてのキリシタン処刑でした。

列福と列聖


1627年、教皇ウルバノ8世はこの26名を福者とすることとし、1862年には教皇ピオ9世がこの殉教者たちを聖人に列しました。現在長崎の西坂殉教地には二十六聖人記念碑と二十六聖人記念館が建てられ、隣に聖フィリポ教会が建てられています。





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