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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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日本26聖人


日本26聖人とは


豊臣秀吉の命により、1597年2月5日に長崎の西坂で処刑された26名のキリシタン信徒のこと。後にカトリック教会によって聖人の列に加えられたため、彼らは「日本26聖人」と呼ばれるようになりました。処刑の様子は長崎にいた宣教師ルイス・フロイスによって報告され、世界を震撼させました。日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのはこれが初めてであり、彼らの殉教は大規模なキリシタン弾圧の始まりとなりました。


列福と列聖


日本でキリシタン迫害の嵐が吹き荒れていた1627年、教皇ウルバノ8世によって26名は福者の列に加えられました。そして処刑から265年経った1862年、教皇ピオ9世はこの殉教者たちを聖人に列しました。この時期日本ではまだ禁教令が解かれておらず、列聖式に参加する日本人は一人もいませんでした。


どんな人たちだったのか


京都で捕縛されたのは、フランシスコ会の外国人司祭と修道士6名(スペイン人4名、メキシコ人1名、ポルトガル人1名)と日本人修道士と信徒18名の、合わせて24名でした。長崎までの道中で2名の日本人信徒が加えられ、26名が西坂で殉教しました。

下表の順番は西坂の丘に建てられた二十六聖人記念碑(舟越保武作)の左側人物からです。

名前 年齢 略伝

パウロ鈴木

48~49

若い頃は武士だったが洗礼を受け、妻と共にフランシスコ会修道院近くに住み、病院の管理人として働いた。通訳として宣教師を手伝い、自らも説教師として活躍した。尾張生まれ。

ガブリエル

19

下京の代官の下で働いていたが、ゴンサロと知り合い洗礼を受けた。フランシスコ会に入会し、司祭や修道士の手伝いをしていた。当初両親や親戚は反対したが、父はガブリエルの姿を見て改心して受洗した。伊勢生まれ。

ヨハネ絹屋

28

京都生まれの絹織物商。キリシタンであった兄の勧めで信仰を学び、宣教師から話を聞いて感銘を受け、妻と幼い息子と共に洗礼を受けた。受洗したのは殉教の少し前のことだった。

トマス・ダンギ

36

伊勢で生まれ、大坂で薬屋を開いていた。レオン烏丸に導かれて受洗した。日本におけるフランシスコ会最初の信者の一人。強い正義感の持ち主だった。

フランシスコ

46~48

大友宗麟の侍医を務め、宗麟のロザリオを形見として持っていた。京都のフランシスコ会で洗礼を受け、聖ヨゼフ病院で活躍。信徒捕縛のためのキリシタン名簿に自分の名前がないことを知り、記入を代官に申し出て捕らえられた。京都生まれ。

ヨアキム榊原

40

医学を学んでいたが、宣教師の説教に惹かれて入信。フランシスコ会で料理人として働き、大坂の教会建設に尽力し、貧しい病人たちに奉仕した。大坂生まれ。

トマス小崎

14

ミゲル小崎の息子。信仰深い少年で、司祭になる夢を持って、大坂の教会で手伝いをしていた。サン・フェリペ号事件の後、京都へ上るフェリペを案内し、共に捕えられた。1月1日に京都の牢で父と再会。長崎への道中母に宛てた手紙の内容が伝わっている。伊勢の生まれ。

ボナベントゥラ

25~26

出生後受洗したが、そのことを知らぬまま継母によって寺に預けられ、20年ほど暮らしていた。ある日受洗していたことを知り、フランシスコ会教会に赴き教理を学び、宣教に尽力した。京都生まれ。

レオン烏丸

48~50

パウロ茨木の弟で、ルドビコ茨木の叔父。30歳まで僧侶だったが、イエズス会宣教師のもとで受洗。フランシスコ会の修道士として教会や病院で奉仕し、「神の聖役者」とよばれた。尾張生まれ。

マチアス

不明

京都の生まれで、家がフランシスコ会修道院の近くにあった。受洗後間もなくして迫害が始まり、別人のマチアスの呼び出しに「私もマチアスで信者です」と名乗り出て捕縛された。

フランシスコ・デ・サン・ミゲル

53

スペイン生まれのフランシスコ会修道士。若くして入会し、スペイン、メキシコ、マニラで司祭たちの活動を支えた。1593年ペドロ・バプチスタと共に来日。京都では教会の炊事と受付の仕事をし、愛徳の実践者だったと伝わる。

フランシスコ・ブランコ

28

スペイン生まれのフランシスコ会司祭。1596年長崎に到着した後、京都に向った。京都で日本語の習得に励み、数ヶ月で信徒の告白を聴くことができた。処刑後も顔から微笑が消えなかったといわれている。

ゴンサロ・ガルシア

40

インド生まれのポルトガル人で、フランシスコ会の修道士。1572年に来日し、平戸で働き日本語を学んだ。一旦海外に出て、ペドロ・バプチスタと共に再来日。バプチスタが秀吉に謁見した際に通訳を務めた。処刑される時に、役人に悔悛と改宗をすすめた。

フィリポ・デ・ヘスス

24

メキシコ生まれのフランシスコ会修道士。司祭に叙階されるためにメキシコに向おうとサン・フェリペ号に乗船していたところを逮捕された。乗船していた宣教師の中で彼だけが捕らえられ、長崎へ向うこととなったが、殉教の冠を与えられたことに感謝し、喜びの涙を流しながら息を引き取った。

マルチノ・デ・ラ・アセンシオン

30

スペイン生まれのフランシスコ会司祭。メキシコなどで哲学を教えた神学者だった。1596年に長崎に上陸し、数日後京都に上った。大坂行きを命じられ、日本語を学びながら働いていた。

ペドロ・バプチスタ

48

スペイン人のフランシスコ会司祭。1593年、フィリピン総督の使節として来日し、秀吉から教会建設の許可を得て、京都で教会と病院を建てて活躍した。

アントニオ

13

父が中国人、母が日本人のキリシタンの少年。イエズス会で学び、京都のフランシスコ会で他の少年たちと共に教育を受けた。長崎生まれ。

ルドビコ茨木

12

パウロ茨木とレオン烏丸の甥。26名中の最年少者。京都のフランシスコ会修道院で侍者として仕える。捕縛の際に除外されたが、自ら願い出て捕らえられた。尾張生まれ。

ヨハネ五島

19

五島生まれの修道士。幼い頃から長崎の「岬の教会」へ通い、有馬のセミナリヨで学んだ。死の直前に正式にイエズス会に入会した。

パウロ茨木

54

イエズス会で受洗し、フランシスコ会で修道士として働いた。弟のレオン烏丸と共に貧者や病人の世話をし、宣教に尽力。尾張生まれの武士だった。

パウロ三木

33

摂津生まれのイエズス会修道士で、有能な説教師でもあった。安土セミナリヨの第一期生。1585年イエズス会に入会し、有馬と天草で学んだ後、長崎や大坂で布教した。

ディエゴ喜斎

64

備前生まれのイエズス会修道士。早い時期からキリシタンとなり、大坂のイエズス会で活動していた。殉教の日、正式にイエズス会に入会した。

ミゲル小崎

46

伊勢生まれの弓矢師。ある日宣教師の説教を聞き、キリシタンとなり、フランシスコ会に入会。京都と大坂の教会建設に尽力した。息子のトマスと共に殉教することとなった。

ペドロ助四郎

不明

護送中の殉教者の世話をするようにと、京都のオルガンティーノ神父に遣わされて、長崎への道を同行し、道中捕縛されて殉教者となった。京都生まれ。

コスメ竹屋

38

尾張生まれの刀剣師。イエズス会で受洗後、フランシスコ会の伝道士として働いた。大坂の教会が完成した際、手伝いをしに出かけて捕縛された。

フランシスコ吉

不明

伊勢生まれの大工。京都で殉教の8ヶ月前に洗礼を受けた。捕縛されなかったが、殉教者と共に歩みたいと願い、長崎への道に同行し捕らえられ、殉教者の一人となった。

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