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日本のビリー・グラハム
「日本のビリー・グラハム」と呼ばれた世界的な大衆伝道者で牧師。
お茶の水クリスチャンセンター玄関ホールに掲げられた「霊に燃え主に仕えよ」は、本田弘慈の揮毫によるものです。
本田クルセード
本田弘慈は1912年、福井県丸岡町に生まれました。1929年、 丸岡教会で洗礼を受け、日本大学文学部に入学。同大学を中退して米国聖書教会の聖書配布の仕事に努め、1934年
関西聖書神学校に入学。卒業して牧師となりました。
戦後、関西を中心に開拓伝道をし、1948年、ウェスレアンの立場に立った伝道者育成を目指して日本聖書学校を設立。続いて神戸中央教会を設立し、教会内にステパノ神学院(のちに関西聖書神学校に合流)を開設しました。
1951年、日本イエス・キリスト教団の創立に参画し、伝道部長に就任。1956年、本田クルセードを創設し、1964年、首都圏の教会と協力して、文京公会堂で東京福音クルセードを実施しました。この大会には約2万人が参加して、約2千人が信仰を決心しました。
1966年、本田クルセードは、有賀喜一らを協力伝道者に加えて、日本福音クルセードと改称し、再出発。日本・リバイバル・クルセード(現・全日本リバイバルミッション)の顧問に就任して、指導にあたりました。2002年4月6日、多発性脳梗塞のため死去。淀橋教会で追悼記念礼拝(合同葬)が行われました。
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