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井深梶之助(いぶか・かじのすけ)

                                 1854-1940年


明治学院の第2代総理


日本の牧師。日本基督教会の指導者。

明治学院の第2代総理を務めました。
ハンセン病者に仕えた看護婦、井深八重は姪にあたります。



白虎隊の一員


井深梶之助は1854(嘉永7)年、会津藩士井深宅右衛門(禄高550石)の長男として生まれました。15歳の時、白虎隊年少組の一員として会津戦争に参加。

1871(明治4)年より横浜の修文館で学び、宣教師S.R.ブラウンに師事。ブラウンからJ.C.ヘボンの診療所で行われていたバイブルクラスを紹介されて出席するようになり、1873(明治6年)1月5日、19歳でブラウン宣教師から受洗しました。当時はまだ高札撤去の前で、日本ではキリスト教が禁止されていました。

1877(明治10)年、東京一致神学校が開校されると第一期生として入学し、植村正久押川方義、三浦徹、瀬川浅らと共に学びました。明治12(1878年)12月24日、按手礼を受け日本基督一致教会の牧師に。翌年から麹町教会(現・日本基督教団高輪教会)を担当することとなりました。


明治学院総理へ


1887(明治20)年、明治学院が設立されると、井深は教授に就任。旧約聖書の翻訳(文語訳)に携わり、ヘボン、グイド・フルベッキ、P.K.ファイソン、松山高吉、植村正久らと協力して取り組み、1888(明治21)年に完成させました。

1889(明治22)年、初代明治学院総理ヘボンの元で、副総理に就任。1890(明治23)年からは米国に留学し、ニューヨークのユニオン神学校で教会史を学び、1891(明治24)年9月に帰国し、同年11月明治学院の第2代総理に就任しました。

1898(明治31)年妻せき子が死去する(享年39)と、翌年大島はなと再婚。日本基督教会のミッションからの独立問題の調整に努め、この問題は1906(明治39)の日本基督教会の第20回大会で「協力ミッション法」が採択されることで一応の解決をみました。

晩年は、基督教教育同盟会(現・キリスト教学校教育同盟)の理事長として大規模な伝道活動を推進し、大正期のキリスト教会を発展させることに寄与しました。1934(昭和9)年、脳溢血で倒れてから臥しがちになり、1940(昭和15)年に死去。墓所は青山霊園にあります。





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