放蕩の末
亀水松太郎は1861(文久元)年、讃岐国高松城下の旧家に生まれました。10代後半で遊郭での遊びを覚え、放蕩の末、悪事を働くまでになりました。1883(明治16)年、22歳のとき強盗で逮捕され収監されましたが、仲間の脱獄に乗じて松太郎も逃走。2日後に捕まり、宇和島監獄送りに。そこからも集団脱獄したため、北海道の空知集治監に送られました。
明治26年、獄中でキリストの絵を見たことがきっかけとなり、聖書を読み、祈ることを始めました。空知集治監では幌内炭坑での毎日12時間の労働が課せられていましたが、明治28年、事故から奇跡的に救出されたことからより熱心に聖書を読み、やがて神のために身を捧げたいと思うほどになりました。
明治30年、英照皇太后の崩御による特赦で減刑されました。また1901(明治34)年、炭鉱での労働はあまりにも危険であるということで空知集治監は廃監に。囚人は十勝監獄に移されました。
坂本直寛牧師の訪問
そこでキリスト教の集会がもたれ、出席者が増えると、
坂本直寛牧師が訪問して説教を伝えるようになりました。坂本牧師が説教すると、集まっていた千人余りの囚人が悔い改めて祈り、信仰を持つものが起こされました。
1909(明治42)年8月、ついに松太郎は出所。東京へ向かうと、救世軍の出獄人保護所であった労作館に入館し、昼は労作、夜は小隊に伴われて路傍伝道をしました。明治44年頃、フリーメソジスト教会の河辺貞吉牧師を知り、悲田院の神学校で7年間学び、1917(大正6)年頃、日本橋教会の副牧師に任命されました。
1921(大正13)年、フリーメソジスト教会を辞して、大阪で開拓伝道。大道4丁目に伝道館(現・大道教会の前身)を開いて多くの人々を信仰に導きました。その後、ナザレン教会に加入。
1936(昭和11)年、75歳で生涯を閉じました。
松太郎の人生を綴った『恩寵の奇跡』『恩寵の生涯』が出版されています。