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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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幸田延 (こうだ・のぶ)

                                 1870-1946年


幸田露伴の妹


明治期~昭和期のピアニスト、バイオリニスト。
東京音楽学校の教授として演奏と教育の両面で活躍し、三浦環や瀧廉太郎、山田耕筰らを指導しました。作家幸田露伴の妹です。



露伴を除いて家族全員が受洗


幸田延は1870(明治3)年、旧幕臣の父 幸田成延と母 猷(ゆう)の長女として東京の下谷に生まれました。父 成延が1884(明治17)年、下谷教会の牧師であった植村正久から受洗したことで、幸田家は露伴を除いて全員が受洗し、クリスチャンとなりました。

延は幼い頃から長唄、琴を習っていましたが、付属小学校に音楽取調掛として来ていたメーソンに才能を見いだされ、メーソンの申し出で個人教授を受けるようになりました。延はメーソン家でピアノを習い始め、13歳で音楽取調掛へ入学。このとき延にピアノの教えた教師は瓜生繁子(津田梅子らと渡米留学)でした。

卒業後は母校の教師を勤めていましたが、第一回文部省留学生に選ばれてアメリカ、ヨーロッパに留学することになりました。イングランド音楽学校に2年、ウィーン国立音楽学校に5年学び、ピアノ、ヴァイオリン、ビオラ、声楽、音楽理論を修めて帰国。


東京音楽学校ピアノ科教授


明治28年から東京音楽学校ピアノ科教授となり、演奏と教育の両面で活躍しました。明治33年、三浦環が東京音楽学校に入学すると、延は環に声楽を指導。環はソプラノ歌手として大成しました。そのほか瀧廉太郎、本居長世、山田耕筰、久野久らを育成しました。

1911(明治44)年、スキャンダルに巻き込まれて職を辞し、以後は自宅で個人教授をしました。1912(明治45)年、隅田川の氾濫で露伴の家が大変になると、と成豊を自宅に預かって面倒を見ました。

1916年、神奈川県立高等女学校(現・神奈川県立横浜平沼高等学校)の校歌を作曲。1946年、76歳でこの世を去りました。著書に『私の半生』があります。




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