「紅露時代」と呼ばれる時代を築く
幸田露伴は1867(慶応3)年、東京の下谷に生まれました。父は幕臣の幸田成延(しげのぶ。利三とも)で、成延が1884(明治17)年、下谷教会の牧師であった
植村正久から受洗したことで、幸田家は露伴を除いて全員が受洗。クリスチャンに囲まれて暮らすこととなりました。
きょうだいは、長兄の成常は実業家で、次兄の成忠は海軍軍人、弟の成友は歴史家で、妹の
延はピアニストでバイオリニスト、同じく妹の幸(こう)もバイオリニストです。
露伴は1893年、谷中天王寺をモデルとする『五重塔』を発表して一躍小説家として名を上げ、同世代の尾崎紅葉とともに「紅露時代」と呼ばれる黄金時代を築きました。
露伴は数え年29歳の時に山室幾美(きみ)と結婚。よき理解者である幾美との間に、長女歌、次女
文、長男成豊が生まれましたが、幾美は1910(明治43)年にインフルエンザで死去。2年後にキリスト教徒の児玉八代(やよ)と再婚しました。
八代は
中田重治と親しかったことから露伴宅で子ども会が時折開催され、キリスト教の話が子どもたちに伝えられることがありました。露伴は1937(昭和12)年、第1回文化勲章を授与され、1947年(昭和22年)に死去。
1897(明治30)年から約10年間住んでいた「向島蝸牛庵」は、登録有形文化財に指定され、博物館明治村に移設保存されています。