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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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小川義綏(おがわ・よしやす)

                                 1831-1912年


日本人初のキリスト教牧師


日本で最初の牧師の一人。

宣教師タムソンの日本語教師となったことから伝道され、奥野昌綱と共に日本基督公会(現・日本キリスト教会横浜海岸教会)の長老となり、のちに2人一緒に按手礼を受けて牧師となりました。



タムソンとヘボンの薫陶


小川義綏は1831年、武蔵国多摩郡府中分梅で生まれました。1865(文久2)年横浜に行き、宣教師J.H.バラの紹介でオランダ改革派のD.タムソンの日本語教師になったことから聖書に触れ、タムソンと聖書和訳を遂行中だったJ・C・ヘボンの元に通ううちにキリスト教への入信を決意。当時日本はまだ禁教下でしたが、1869(明治2)年、タムソンから洗礼を受けました。

1870(明治3)年9月、奥野昌綱の親戚を通じて、和歌山藩の大参事である津田出(いづる)から欧米事情の講義の依頼を受け、小川はタムソンについて和歌山を訪問。時を同じくして和歌山藩には長崎の浦上村から流配されてきたキリシタンが牢屋生活をしていたのですが、タムソンと小川はその様子を目撃。

タムソンはキリシタンの態度に感銘を受け、帰京するとすぐ横浜の英字新聞に和歌山でのキリシタン囚人のことを投稿し、ヘボンとカロザースと連署で米国長老教会海外伝道局に、日本における信教の自由を実現させるように、米国連邦政府を通じで速やかに要求すべきであると提言しました。小川はそれを近くで見ていたはずです。

1872年、横浜居留地に日本基督公会(現・日本キリスト教会横浜海岸教会)が設立され、小川は奥野昌綱と共に長老に就任。翌年2月タムソンが東京築地に移ることとしたため、小川も妻と共に転居。長老の後任は本多庸一に託しました。


高札撤去後の活躍


同年3月に明治政府がキリスト教禁制の高札を撤廃すると、小川は東京基督公会(新栄教会)の長老兼伝道師に任命されました。奥野昌綱と共に、1873(明治6)年10月より日本最初の伝道旅行を開始し、八王子で伝道し、牛込教会(現・牛込払方町)、浅草教会(現・池袋西教会)の設立に寄与しました。

1877年10月3日、盟友である奥野と一緒に按手礼を受け、2人そろって日本人初のキリスト教牧師ととなりました。牛込教会、浅草教会で働き、1300人以上に洗礼を施しました。1886(明治19)年、東京本郷に明星教会を設立して20年間牧会をし、1903(明治39)年に辞任。

その後も巡回伝道を行いました。大正元年12月19日、82歳で死去しました。




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